ビュッフェでは「何を食べるか」ではなく、「何を食べないか」
本を読んでいたら「ミモザサラダ」っていうのがでてきて、
ミモザサラダってなんだろう、と検索してみた。
『キッチンが呼んでいる!』という本で、
主人公の女性が友人と久しぶりに会ってランチをする。
サラダバーからとってきたサラダの皿を前にして、その友人はいう。
「ビュッフェは、『何を食べるか』じゃなくて、『何を食べないか』なのよ」
たしかに、ホテルの朝ごはんはたいていビュッフェスタイル(いわゆるバイキング)で、
朝からそんなに食べるのか〜? と他人の皿を見て思ったりする一方で、
朝からその土地の名物料理かなんかあったりして、
たとえば長崎だと皿うどんが小分けされて提供してあったり、
肉が美味しい地域、魚が美味しい地域、山菜の美味しい季節、
なんて並んでるから、
せっかくだからみんな食べたい、食べなきゃ損、で、
ちょこっとずつ取ってもすぐにお皿は満杯になる。
わたしの場合、主食はごはんにして、パンは食べない、と決めている。
そのごはんは一膳だけ。おかわりはしない、とも。
なので、おかずはそのごはんは一膳だけで収まる分だけしか取らない。
なので、おかずは小さい魚がひと切れ、お肉ものを一点、
副菜が3種類ほど、野菜のサラダ、おみそ汁、となる。
サラダバーから戻ってきたふたりのお皿には、
何がのっているか。
主人公の女性のは、
その友だちのお皿には、どんな料理がのっていたか。
トレビスもロメインレタスも知らないけれども、
それはそれで「葉っぱだな」でスルーできるが、
「ミモザサラダ」がなんだかを知らないとこの文章の味がわからない。
ので調べたら、日本ではゆで卵サラダのことだ、と。
10種類の小洒落たおかずたちが並んでいるサラダバーで、
あえてレタスとゆで卵という「素材」をつかって、
自分なりの料理をつくる。
これはブリコラージュだ。設計図を描き、予定を組んで仕事を進めていくのではなく、
その場で手にいられるものを寄せ集めて、
その場で何が作れるか試行錯誤しながら、新しいものをつくっていく。
組織経営で最近良く使われる用語が「ブリコラージュ」。
不確実性が高まっていて、成功の方程式も崩れているいま、
それまでの成功体験に則って時間をかけてやっている場合じゃないだろう、
ということで、「ブリコラージュ」がもてはやされている。
友だちさんの「ミモザサラダ」も、ブリコラージュの一種で、
ビュッフェでそんな楽しみ方があるんだなあ、
と教えてもらって、さっそくどこかで試したくなった。
『キッチンが呼んでいる!』稲田俊輔 小学館 2022年