「遊び」「プレイフル」と仕事の距離感
「遊び」とか「プレイフルplayful」みたいなこと考える今日このごろ。
先日、ホイジンガの「遊びの定義」に出会って小躍りした。
それは、
・定められた時間、空間で行われる
・自発的に受け入れられたルールがある
・日常とは「別のもの」
・それ自体が「目的」になっている
・緊張と不安から解き放たれ、喜びにかわる
・競い合う、もしくは表現するもの
が「遊び」というものである、と。
小躍りしたのは、「これってやっぱり『仕事』と同じじゃん!」だから。
『心理的安全性のつくりかた』には、
「やらなきゃいけないこと」と「やりたいこと」があって、
人間放っておけば「やらなきゃいけないこと」だらけになるから注意しましょう、
というようなことが書いてある。
いま自分がかかわっている仕事が、
「やらなきゃいけないこと」だらけではなく、
「やりたいこと」だらけであれば、
それはつまり、仕事と遊びの境界線がなくなっている、
ということ。
さらに、『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』では山口周さんが、
今日の世界において、「労働」と「遊び」の境界はすでに無効化され、主体の捉え方次第になっている。
主体=わたし=働く人、がどう考えるかなんだよ、と。
それは、仕事が「明日のために今日の辛い労働に耐える」という思考・行動様式から、
「今日の充実のために夢中になれる仕事に取り組む」それへと転換すると、
「仕事の後に報酬が得られる」状態から、
「仕事していることそのものが報酬である」仕事と報酬の一体化となり、
これは人類史における革命的な転換となるでしょう。
と書いている。
今日はネコの日。
「遊び」「プレイフル」と仕事の距離が、だいぶ詰まってきた。
『ホモ・ルーベンス 文化のもつ遊びの要素についてのある定義づけの試み』ヨハン・ホイジンガ 講談社学術文庫 2018年
『心理的安全性のつくりかた 「心理的柔軟性」が困難を乗り越えるチームに変える』石井遼介 日本能率協会マネジメントセンター 2020年
『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』山口周 プレジデント社 2020年