100字ですむことを2000字で書いて、思いのたけをのせた文章を誰よりも速く届けることを続けていたら作家になった、という岸田奈美さん
『家族だから愛したんじゃなくて 愛したのが家族だった』
すごく売れているらしい。
「紙の本はメルカリで……」と著者本人がいってたwww
「バリアをバリューへ」のミライロの創業メンバーで、
広報を担当していた。
お父さんを過労で亡くし、
お母さんは過労で倒れて車イス生活になり、
弟はダウン症で知的な障害がある。
お父さんはベンチャー企業の経営者で、
岸田さんにとってはとっても憧れな存在だった。
だから、自分も経営者になりたい。
お母さんと弟といっしょに仕事と生活をするなら、
福祉と経営が学べる学部のある大学で学びたい。
それなら関西学院大学だけど、
偏差値が足りない。
予備校の先生に頼み込んで、
居酒屋での晩酌に付き合いながら、
タダで勉強を教えたもらった。
めでたく大学に合格したはいいけど、
今度はおカネが足りない。
奨学金はメガマックスまで借りてる。
アルバイトをしてるけど、
お母さん車イス生活に疲れて
「もう死にたい」
っていってる。
ああ、おカネだけじゃなくて時間も足りなくなった。
勉強してる場合じゃない、卒業までまだまだまだだ。
働かなきゃ、カネ稼がなきゃ、ビジネスできるようになんなきゃ……。
焦っていたところに、同じく大学生だった垣内俊哉さんと出会う。
は? 起業する? 福祉をビジネスで?
webのデザイナーを探してる?
「あたし、デザインできます!!!!!!!!」
ウソだった。
でも、入社が決まった。
デザインの勉強しなきゃ!
本を買ってクソ勉強して、
1週間でたいがいのことができるようになって、
初出勤して涼しい顔してデザインしていた。
広報担当として、スピーチ原稿を書き、
プレスリリースを書き、メディアに営業をし、
会社と垣内俊哉さんをブランディングして、
お母さんをミライロでトップクラスの講演講師に育てて、
気がつけば8年の月日がたってて、
文章で伝える技術が上がり、
おもしろい発想に磨きがかかり、
noteという表現媒体と出会い、
そこに自分のストーリーをユーモラスに、
ときにシリアスに、書き綴っていったら、
糸井重里さんほか有名な人の目にとまり、
メッセージが聞こえてきたので、
100文字ですむような
「ありがとうございました」
「お目にかかりたいです」
を、2000文字で速攻書き上げてメールを出した。
100文字を2000文字で、のことを
「クソデカ構文」といっていた。
オタクの特技だといっていた。
思いをぜんぶのせた文章を
誰よりも速く届ける
発信を続けていたら、
どんどんどんどん人との縁がつながっていって、
ついに会社から独立して、作家になった。
作家になれたのは、もちろん自分の才能と、
発信し続け得た努力による。
けれど岸田さんは、
人生をみんなで編集してもらっている
といっていた。
ああこの人は謙虚だな、と思った。
自分のバリアをバリューに変えて、
ああこの人は楽しんでるな、と思った。