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対話を通して「誰かの体験」が「わたしの体験」に上書きされていく 〜伝承とはなにか
震災の伝承者になりたい、語り部になりたい、と思って、
「大震災かまいしの伝承者 ステップアップ研修会」を受講した。
そしたら、原爆の被爆者についての講義だ、と。
震災なのに原爆?
テーマが「生きられる伝承・継承とはーー原爆体験の伝承・継承の現場から考える」。
講師は小倉康嗣さん(慶應義塾大学文学部教授)。
震災なのに原爆、ってだけで「?」なのに、
さらには「そもそも伝承ってなに?」
から研修はスタートした。
原爆投下から79年が経とうとしている広島では、高校生が被爆者の語り部(被爆体験証言者)と一年近くをかけて対話を積み重ねながら当時の様子を絵画で再現する取り組みが、16年続いています。原爆を体験したことも見たこともない高校生が、「まさしくこれだ」と被爆者地震が驚くような原爆の絵を描けるのは、なぜなのでしょうか。
広島の美術系高校生たちの活動を通して考える、
「伝承ってなに?」
この高校生たちは、資料を見たり読み込んだりすれば絵が描けると思っていた。
小学生のときから体育館でときどき聞かせられる被爆者のお話。
ストーリーはだいたい決まっていて、
最後は「平和」「核廃絶」。
感想文もそれなりに書いてきた。
でも、この伝承活動で語り部の話を聞く、対話をする、それを絵に描く、となると、
まったく違った。
そこには圧倒的な経験があった。
「自分たちは今まで、何を聞いてきたんだろう。
自分たちは実は、何も知らなかった」
ちゃんと描けるだろうか、不安になった。
そこで高校生たちは、語り部との対話を繰り返す。
わからないことをたくさん質問する。
現場に足を運ぶ。
たとえば、
「神社の階段を被爆して全身火傷をしたたくさんの人たちが這うようにして上がってきた」
という話を聞いて、実際にその神社に行ってみる。
階段がものすごく急なことに気がつく。
「這うようにして上がってきた」という証言が、
自分の体験として想像できるようになる。
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現場に足を運び、自分のアタマで考え、
悩んで苦しんで描いた絵は、語り部の体験から「わたしの体験」へと上書きされていく。
プロジェクトに参加したある生徒はいう。
「歴史は過ぎ去っていくものではなく、積み重なっていくものだと思う」
こうして、原爆を体験したことがない生徒が、
追体験として自分の生き方の中に入っていき、
自分で描いた絵を見ながら、対話を通して、その追体験を別の人に伝えていく。
証言者の生きざまを継承していく。
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継承とは情報や事実を受け取ること、伝えることではなく、
対話とコミュニケーションを通して自分のアタマで考え、追体験し、
自分の言葉なり絵画なりで表現すること。
そうじゃないと、体験から学ぶべき意味や警告が形骸化し、陳腐化し凡庸化し、ステレオタイプ化し、思考が停止する。
なぜ震災の伝承が原爆につながるのか、ようやくわかった。
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