むにみずべ 東京編08 千鳥ヶ淵の夜桜ボート
ついに春本番。東京を代表する桜色のむにみずべ、これ知っていますか?
かつてご紹介した、船上灯ろう流しという、珠玉のむにみずべとなる夏の千鳥ヶ淵。
しかしその名を世に轟かしているのは、なんと言っても桜色に染まる春です。
桜の波に飲まれる千鳥ヶ淵
例年桜の時期は、わずかな幅の緑道に、信じられないくらいの人の波に飲まれる千鳥ヶ淵。
そうした人の波を生み出す桜の絶景は、千鳥ヶ淵の北と南からそれぞれ始まりました。
千鳥ヶ淵の北側で桜が植えられたのは、明治2年の靖国神社(招魂社)の建設がきっかけでした。
ここの桜が東京の開花を判断する標本木として使われるなど、桜の名所として知られます。
かたや千鳥ヶ淵の南側に初めて桜を植えたのは、アーネストサトウ率いる明治時代の英国大使館。
アーネストは大使館敷地内だけでなく、その前の道路にも植え、東京市に寄贈したことで、こちらも桜の名所となりました。
今でも見事な桜並木を作っています。
ちなみに、桜を寄贈しちゃう太っ腹なアーネストについては、世界最強の大英帝国外交官として中禅寺湖でブイブイ言わせていた体験ができる下記の記事で一度取り上げました。こちらもぜひどうぞ。
さて南北から別々に始まった桜の波が千鳥ヶ淵を飲み込んでいきます。
大正になると千鳥ヶ淵公園がオープンし、たくさんの桜が植えられました。その後関東大震災の帝都復興事業によって南北の桜並木が繋がるといよいよ桜の一大名所になりました。
夜桜見物という新しい文化
桜の花見は、古く平安時代の京都で始まったと言われています。それまで主流だった梅の鑑賞ではなく、嵯峨天皇による桜の花見が風流でおじゃるということで、大流行したそうです。
しかし夜桜となると話は違います。月明かりに目を凝らした人もいたと思いますが、そもそも灯りがないと観られません。
江戸時代になると一部で街を照らす灯りが登場するようになりました。その一つが、不夜城 吉原遊郭です。
夜に本気を出す吉原では安全のためにも夜を照らす必要がありました。当然吉原の夜桜は名物でした。
そんな夜桜も街灯が登場すると続々と各地で鑑賞されるようになります。
上野の寛永寺、青森の弘前城、新潟の高田城は特に有名で三大夜桜と呼ばれるとか。特に弘前城の夜桜はボートからも見えちゃうという素晴らしさ。ぜひ今度行ってみたいですね。
しかしながら千鳥ヶ淵の夜桜は一味も二味も違います。夜景といえば光輝く都市、そしてその都心も都心の皇居の濠に漕ぎ出すと、夜桜の向こうに「東京」が顔を出します。
夜桜の向こうにある東京
桜の期間だけ夜も営業される貸しボート屋さん。漕ぎ出せば333mの東京タワーに加え、東京駅周辺の高層ビル、江戸城の城門と桜越しに新旧様々な東京が見え隠れします。
ちなみに靖国神社の鳥居は、昭和49年(1974)に建てられ、高さ25m(7階建てビル並み)、耐久年数1200年と、
まだしばらく千鳥ヶ淵から見ることができそうです。
桜が咲かない2024年
さて。今年2024年の東京は、桜が全然咲きません。何やら現在の桜界に君臨するソメイヨシノには、グッと寒くなってから暖かくなるという「休眠打破」が開花に必要らしく、冬に暖かく、3月寒さが戻った東京は休眠が続いてしまったとのこと。
そもそも江戸後期に東京駒込の近く、染井村の植木屋さんが生み出したソメイヨシノ(染井吉野)は、葉がない時に一斉に開花することで非常に美しく日本中で大流行しましたが、病や虫に弱く寿命が60年程度と近年では新たに植樹されることが少なくなりました。
ソメイヨシノは終わりだと言われ続けもうしばらく経ちますが、こうも咲かない日々を知ると、ふと本当にもう終わりなのか、と思ってしまいます。
そんな中、みんなが血眼になってその後継、ポストソメイヨシノを探し回っている訳ですが、最有力候補の一つがジンダイアケボノ(神代曙)です。最も有名な木は例によって千鳥ヶ淵のさらに少しばかり南、国立劇場前にあります。
咲き乱れていますね。これからは、国立劇場からジンダイアケボノが千鳥ヶ淵を桜の波で覆ってくれるのかもしれません。
図らずも遅れた開花もいよいよ本格化。乗り遅れた方もまだまだ間に合いますので、ぜひ桜を楽しみに水辺に向かってください。
以上、都心のそのまた都心、千鳥ヶ淵の夜桜ボートでした。
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