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【6日目】レクリエーションと「二番目のモトあつめ」(カンジョウのトリセツ)

◆一人で「二番目のモトあつめ」をするとき

 『良いモトの循環』のあらましは、ご理解いただけましたでしょうか? これはこれからのこの本と、この本の続編のシリーズでとても重要なフレーズになります。よく覚えていてくださいね。

 それに、この『良いモトの循環』は、この本を読んでいるあなた自身が「幸せに暮らす」ためのたった一つの方法でもあります。覚えて損することは一つもないはずですので、ぜひ日々の生活で「モトがどう動いているか」観察しながら、積極的に『良いモトの循環』を起こしたり、起こっているところに身を置いたりして体験したりしてみてくださいね。

 さて、今「たった一つの方法」と書いたのですが、ここに

「いや、一人でも幸せな気持ちで過ごせるときってあるでしょ?」

という反論をしたくなった方も大勢いらっしゃると思うのですが、どうでしょうか?

 たしかにそうなんですよね。一人で何か楽しいことをしているときの幸せ感というのも存在するわけで、そのときはなにも『良いモトの循環』なんて起こってないじゃないか、とお思いになる方もおられるでしょう。

 こういうときというのは……循環してはいないけれども、『良いモトの増加』とも呼ぶべきことが、自分ひとりだけで起こせているときです……これも「二番目のモトあつめ」でしたね。二番目のモトあつめというものは自分一人でもできますよ、という話は、前巻でモトあつめを紹介したときにお話しました。今回は、それをもう少し深く掘り下げてみましょう。

◆レクリエーションと「モトあつめ」

 一人で楽しいことをしているとき……たとえばこんなシチュエーションです。

・毎週楽しみにしているテレビ番組を見ている
・毎回買っている漫画の続編を手に入れた
・バツグンによいアングルの鉄道写真が撮れた
・ソロキャンプで食事をし、コーヒーを飲んで落ち着いている
・外で風景画を描いている、もしくは家で仕上げている

 ほかにもたくさんの「自分一人でやる楽しいこと」というものはあるでしょう。こんなとき、当然ながら好き嫌いゲージの針は「好き」を指しています。だって「好き」なことを自分の意志でしているんだから。趣味だとか、ひそかな楽しみだとかいうのは、そういうものですよね。

 繰り返しになりますが「好き嫌いゲージが好き側にある」ときは、ココロが持っているモトの量が増えているときでしたね。好き嫌いゲージの針の位置と、ココロにあるモトの量は正確に連動しています。つまり、とくに「循環」しているわけではないけれども、自分のココロが満たされて、モトが周囲で生まれているような状態になることもあるのだ、それが「二番目のモトあつめ」だ、ということを前巻でお話しました。

 他にも、こういう「楽しいからやる」のではなく、ネガティブな感情をどうにかしたい! という気持ちからやるリフレッシュ法などもありますよね。たとえば……

・気分が落ち込んでいるから、好きな音楽でアゲアゲに
・なんかむしゃくしゃしているから、遠くまでドライブ
・モヤモヤしてるから、泣ける映画で思いっきり泣きたい
・ストレス気味だから、今日は秘蔵の酒を出してきて飲もう

 こういうのもレクリエーションの一つです。こういうときは、好き嫌いゲージが「嫌い」の方を指しているから、これを「好き」側に動かしなさい、とココロが命令しているときです。

 ココロの命令というのは「感情」「気分」という形で僕たちに現れます。そういう「気分になる」というわけです。感情というのは、ココロが僕たちに「モトあつめ」をさせるための命令なんでしたね。
 こういう命令にもとづいて、僕たちは「リフレッシュするなにか」を一人で行うことがあります。このときももちろんモトが増えるのですが、それもまたポジティブなときと同じで「モトを一人で増やしている」シチュエーションだと言えますよね。

◆一人でも「モトを増やせる」メカニズムと『ミラーニューロン』

 こんなふうに、一人で「二番目のモトあつめ」を行うこともとできるのですが、それではここで「こういうことがどうしてできるのか?」という、そのメカニズムについてもう少し詳しく見ていこうと思います。

 さきほどの例で言うと、ソロキャンプや家で晩酌をするときの「二番目のモトあつめ」は「カラダやココロをアタマでいたわっている」という、分かりやすい「いい気分になるための行動」だと言えますよね。自分の意思で、積極的にココロをケアし、自分で好き嫌いゲージを上げているのですから。
 ですが、テレビや映画などでリフレッシュしているときというのは、相手がいないのに「相手からモトを受け取っている」ような気分になります。これはどうしてなのでしょうか。

 4日目でお話したとおり、アイドルのコンサート会場では良いモトの循環が起こっています。さて、家でそのビデオを見ているようなシチュエーションではどうでしょうか? コンサート会場ほどではないとは思うのですが、やっぱり「いい気分」になることがあるものではないでしょうか?
 こんなとき、なにも「テレビ画面からモトが飛び出している」わけではありません。他にも、手紙を読んでホロッと来ているときや、電話で話をしていて楽しくなっているときもそうです。手紙や電話からモトが飛び出しているわけではないのです。

 こういう場合というのは、やはり「自分のココロでモトを生み出している」ときなのですが、どうしてこういうことが起こるのか……そこにもちゃんとした「メカニズム」があります。これは人間の「アタマ」の働きに関係があるのです。

 人間の脳というのは、他の生き物に比べてとてもよく発達しています。とりわけ「想像力」を働かせる能力や「社会性」を司る能力が優れていると言われています。
 そんな脳に「ミラーニューロン」という神経があるそうです。これは「共感力」を司る神経だそうで、この神経のおかげで

・遠くにいる人の様子を手紙などで伺い、想像する
・本を読んで、主人公の気持ちを自分の体験に置き換える
・人の話を聞いて、自分が体験しているかのように感情的になる

といった、他の生き物にないとても高等な思考を行えるのだそうです。

 一人でレクリエーションをしているとき、本や映画、そしてコンサートのビデオなどで「面白い」「興奮する」「楽しい」という気持ちになれるのは、こういった「ミラーニューロン」による「共感力」によるものだと言われています。物語の主人公が体験していることを、あたかも自分も一緒に体験しているような「疑似体験」ができるのは、このミラーニューロンという神経のおかげなのだそうです。

 こういう「メカニズム」でもって、僕たちは「疑似体験」によって好き嫌いゲージを「好き」に動かして、二番目のモトあつめを行うことがあります。テレビや映画で主人公と一緒に冒険したり恋愛したり、またほかにも手紙を読んで家族や友人の気持ちにジーンと来たり、電話で楽しい会話ができるのも、こういった「メカニズム」によって二番目のモトあつめが行われるからなのです。

◆「増やす」モトあつめと「奪う」モトあつめ

 というわけで、これまで数回に分けて見てきたように、モトあつめというものは「人から奪ってくる」(無理やり注目させる)だけではなく、自分の「ココロの機能」を使って増やすことができるものなのです。この機能を使うと、お互いのココロが持っていたモトの量以上に「その場全体のモト」が増えていくので、よりたくさんの人がより幸せを感じやすい、そういう「空間」ができていきます。

 僕たちが「幸せに生きていきたい」なら、こういう「場を作る」ことを意識して生活すると、きっとその近道になるはずです。

 ところが……広く社会を見渡してみると、こういうモトあつめが行われている場所というのは、案外少ないのではないかと思います。みなさんもそういうふうに感じているのではないですか?
 そもそも、モトあつめというものは、集まりさえすれば「好き嫌いゲージが「好き」寄りに上がる」のですから、人から奪ってくる「一番目のモトあつめ」をやるほうが、圧倒的にカンタンだったりします。ですので、僕がさきほどまで書いていたようなことを「自分で意識して」いる人でないと、だれもがなんとなく一番目のモトあつめをやってしまうものなのです。

 では次回からは、そういう「奪ってくる」モトあつめをしてくる人たちについて、考えてみましょう。

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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)