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20230719 おばあちゃんへ

おばあちゃんへ

そちらでは元気にしていますか?
おじいちゃんとお母さんがいると思うけど、もう会えましたか?
仲良くしてますか?


頭は痛くないですか?
頭痛持ちだったおばあちゃんは、小さい頃私に頭痛薬買ってきて欲しいと、お父さんに内緒でおつかいを頼んだこと何回かあったよね。懐かしいです。
頼まれた頭痛薬の名前が印象的だったな。
大人になって、結構強めの鎮痛剤だったんだなってわかりました。
そりゃ、お父さんも飲み過ぎるなって止めるわけだ。
今はもう痛くないかな。


お父さんもお母さんも働いてたから、
私の世話をしてくれたのはおばあちゃんとおじいちゃんだったね。
今になって、三世代同居がどれだけ助けになっていたのか痛感します。
お母さんは嫌だったかもしれないけど(笑)
正直、おばあちゃんのことを疎ましく思ったこともあった。でも、もうその時には認知症の予兆があったのかもしれないね。
私や妹の部屋に勝手に入ってきたりしたのも、そうだったのかな。
入れないように内鍵かけて、ごめんね。

施設に入るって聞いた時、お父さんとお母さんに意見したことがあるんだ。
「できないことばっかりじゃなくて、今のおばあちゃんができることを見てあげてほしい」「入所させるんじゃなくて、人と関わりを持てるデイサービスとか使ったらいいじゃん」って。
ご飯支度してくれたのはいつもおばあちゃんだった記憶がある。
そのおばあちゃんに台所に入らないようにって言ってたお父さんを見て、ひどいなって思ったよ。
でも私も歳をとって、当時のお父さんやお母さんの状況を考えると、そうするしかなかったのかなって思っちゃう。
決めつけて、話も聞かずに施設に入ることになっちゃってごめんね。
私は何もしてあげられなかった。ごめんね。

今も思い出すのが、3.11の時のこと。
たまたま帰省しててお昼ご飯を食べながらおばあちゃんと話してる時に地震がきたんだよね。この時、私自身は体験したことがないような揺れを感じて、食器棚が倒れてくるかもしれないって思って怖かったけど、意外と冷静だったな。とにかくおばあちゃんを守らないといけないと思って「テーブルの下に入って!!!」って言ったの覚えてる。

あとは2年前、結婚報告に行った時。
おばあちゃんが施設に入ってから一度も面会に行ったことがなかった。
行けなかった。
私が最後に会ったおばあちゃんとは全然違うって聞いてたから。
「私のこと忘れてるのかもしれない」「誰だって言われたらどうしよう」
自分が傷つくことだけ考えて、おばあちゃんに会いに行けなかった。
でも、結婚することだけはちゃんと顔を見て伝えたいって思ってたから、叶ってよかった。
「結婚するよ」って言った時に、声は発しなかったけど涙を流してくれたのを見て「あぁ、聞こえてるのかな。伝わったかな」って私も涙が出たんだよ。
看取りはできなかったけど、最期の前に顔を見れて本当によかった。


あれから1年経ったね。
来月は初盆。
3人で一緒に帰ってきてね。みんな待ってるよ。

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