初めてのバイト、そしてコロナへ
私は2月から最寄駅にあるラーメン屋で働くことになった。
高校からの条件通り、日曜は働かずに勤務は18時まで。
アルコールの提供はある店だったが、ほとんど売れないのと、注文が増える18時以降は勤務しないため見逃されていた。
ここら辺の詳しい事情は前回までのノートに記載してあるのでぜひどうぞ
店舗はホール担当の仕事は、主に商品の提供とテーブルの清掃。
レジがなく券売機なので仕事としてはあまり多くない。
が、客の対応は全てホールが担当するのでだいぶストレスは溜まる仕事であった。飲食業界には絶対就職しないぞ、とこのアルバイトを通して誓った。
だが私にとっては初めての労働。
初月は、それなりにシフトに入っていた。
ちなみに、シフトは毎週提出で固定はなし。2時間から勤務可能で、入らない週があってもとやかく言われることは無い。
このようにだいぶゆるい環境だったせいか、飲食の割には長く続けているアルバイトが多かった気がする。
社員にとっては休みがない労働環境は地獄だったようだが…
結局私はラーメン屋を辞める時まで18時以降の勤務は許されなかったのだが、度々変わる店長さん全員、私が18時以降勤務できないことを了承してくれた。
アルバイトとしてはこの上なく働きやすい環境であったと今でもおもう。
結果、辞める時にはアルバイトの中では1、2を争う古株であったにも関わらず、まさかの締め作業を一度もやった事がないという稀有な存在となっていた。
そうしてなんとか収入源を得た私が働き出した矢先のこと。
世の中はあのコロナ禍へと突入していく。
コロナとバイト
これを言うと大体の年齢がバレてしまいそうだが、コロナが流行り出した頃はちょうど高校の卒業式の直前であった。
卒業式がなくなり、大学の入学式がなくなり、4月の授業がなくなった。
ラーメン屋でのアルバイトは好調で、高校を卒業して日曜日に働けるようになった。
そんなある日、感染が拡大した事で、母からアルバイトに行くのは控えた方がいいと言われた。
社会はまだ必死に動いていたし、すでに決まってしまっているシフトだってある。飲食店やショッピングビルだってまだまだ営業していた。
親が行くなと言っている、なんて理由が通用するわけない、と私は思っていたのだが、母はその逆。
親が言えばなんだって通る、と思っている。
結局、決まってしまっているシフト分は出勤し、その後はおよそ2ヶ月にわたって休むこととなった。
さらにその後、緊急事態宣言が発令。感染者が出たことでラーメン屋がテナントとして入っていたビルそのものの営業が停止となる。
やっと営業が再開しても、人が多いからと言う理由で日曜の勤務を禁止される。
自由に働けるようになるにはかなりの時間を要した。
しかし嬉しいこともある。
運転免許を取得するための貯金30万が、11月に貯まった。
車校の講習はネットからの予約制で、割と毎日争奪戦が繰り広げられていた。
自宅から徒歩圏内だったことや卒業期限があったこともあり、車校に行くことだけは許されていた。
4月に車校を卒業する頃にはだいぶ世間もコロナに慣れており、いい顔はされないものの私も働きにいけるようになった。
最後まで締め作業はできずに辞めることとなったが、対応は最高だったアルバイト先であった。
ちなみにこの徹底した外出制限のおかげで、私と母はコロナになった事がない。
他の家族はなっていた。(なぜ)
アルバイト先との出会い編