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「受け入れられ」について

 2021年の上半期、忙しい中でも心に残った読書や鑑賞があった。それを通して身近な問題についてもあれやこれやと考えを巡らせたので、友人のエッセイを読むのが好きという奇特な趣味のあなたはぜひ読んでいってください。
 まず最初に2つの作品を紹介しつつ、共通しているテーマ、表題の「受け入れられ」について少し考えてみたい。

 最初に紹介したいのは(といっても大半の人が既に読んでいる気がする)、SF小説の『三体』。冒頭から明らかになる筋書きしか書かないので未読の人も安心して、私が問題にしたい部分を知ってほしい。
 この作品の中心人物である葉文潔は文化革命当時の激しい内ゲバ、糾弾集会によって大きく言えば人類が「正しいことをしようと尽くした結果、悲惨で醜い結末をもたらしてしまう」ことに絶望する。非常に凄惨なシーンから物語は始まる。人間が集団になって誠意を持って一生懸命やった結果としてこんなに最悪なことがおこるなんて、世界(地球の人類)は本当に最悪だな、といった気分満載のシーンである。文潔は明らかに当時の政権から迫害を受けていて社会的に「受け入れられていない」し、その後の物語の展開は色々あるけれども冒頭の出来事が引き金となってしばらくその気分が続いている。世界(地球の人類)は最悪で、自分は迫害されていて、「受け入れられていない」、と。

次に紹介したい(おすすめしたい)のはNetflixのドラマ『グッド・プレイス』
 このドラマは死後の世界を舞台としており、生前の行いが評価されるというシステムを前提として善悪の倫理を議題としつつもアメリカンジョーク満載のラブコメディである。以下は多少ネタバレになるが、抽象的に書くのでまだ見ていない人にも深刻な問題にならないかとは思う。
 主人公のエレノアは、自身の「良くはなかった」生前の行いによって死後判定システムから「悪人」の烙印を押され、いかにも痛そうな罰を受けさせられそうになる。これはエレノア自身が「世界」のようなものに評価された結果、悪く判定されて死後楽しく過ごすという権利を奪われる体験である。この主人公もまた「受け入れられていない」。しかし『三体』の文潔と異なる点は、エレノアには「確かに自分は悪かったな」と心当たりがあり、更には「どうしたら良くなれたのか?」と、仲間とともに評価システムについて考察を始めるということである。
 これ以上説明する必要はないので省略するが、『グッド・プレイス』のエレノアは『三体』の文潔と同じように世界に「受け入れられていない」ながらにも、力になってくれる仲間に恵まれ(受け入れ)、システムそのものついて自分で考える力を持つことで、「受け入れられていない気分」から脱した主人公である。

 この2つの物語の主人公を比較するには、あまりにも彼らが置かれた状況が違いすぎる。絶望の度合いが違う。文潔は生きるか死ぬかの世界を乗り越えたものの、生きていたところで「良さ」に出会う心境そのものを破壊されてしまって治療されていないPTSDを抱えていると思う。一方のエレノアはギャグ・コメディの死後の世界だから基本的には明るい。そんなことはわかった上でわたしが考えたいのは、彼らが世界に対して漠然と持つ「受け入れられ」の気分についてである。

 なぜわたしが「受け入れられていない」心情を考察したいと思っているかといえば、率直に言えばそれはCOVID-19や地球温暖化、災害の多発といった現在の我々を取り巻く状況の中で時々、既存の科学的な常識や客観的に積み上げられてきた情報から逸脱していると感じる主張、つまり「陰謀論的なもの」に出会うからにほかならない。ワクチンを打てば5Gからの攻撃を受けるとかいう過激なものだけでなく、安全性が検証されていないのに普及させようとしているから慎重にならないといけない、というようなものまで度合いは幅広い。いずれにしても、政府機関や海外の科学研究が行っている活動について疑いを挟む心情がそこにはある。この立場は、ざっくりと言うなら「従前の世界の仕組みは怪しい」「実は自分は迫害されつつある」という、いわば「受け入れられていない」気分が元になっているのではないかと推測する。

 「受け入れられていない気分」には色々ある。例えば、なんらかの国家と個人のアイデンティティが分かちがたく結びついた気分で生きている人はその国家やその歴史を非難された時にまるで自分自身が攻撃されているかのように感じる、のかもしれない。単に、自己評価より客観的な評価が低いというギャップに苦しむこともあるだろうし、経済的に困窮していてもそれは世界から受け入れられていないサインに思えて不思議ではない。
 そうした「受け入れられていない気分」でいるところには色々な解決策があるだろう。事実とは関係なくとも自分の国家に瑕疵がなかったという主張と出会えば、自分自身が擁護されたような良い気分になれるからこそ売れる本があるし、これまでの常識とは異なる「知られざる新常識」があって評価されてこなかった自分を「受け入れてくれる」。それらは生きていくのに困らないだけの経済的な支援が必要なことと同等に、誰かのために必要で生まれたものと言うこともできるかもしれない。

 グッド・プレイスのエレノアは罪人の烙印を押された気分を発端に長いシリーズがはじまり、三体の葉文潔は時の政権に拒否された経験によって意外なものと出会って物語は前に進んだ。現実の世界でも、否定された自分を評価する新たな何かを求め続けるエネルギーの副産物がトンデモ科学や陰謀論と思うと、この世は「受け入れられない」気分がますます鋭くなる一方だと感じる。

 評価されることや、誰かにどう思われているかということにもっと鈍感な価値観を前提とした物語をもっと読みたいと思う。自分が受け入れられているかどうかなんて実はあんまり関係ないし、どんなに愛されて受け入れられていても不慮の事故や防ぎようのわかっていない病気で死んだりするから。というわけで『東京の生活史』を買ったのでじっくり読みたいと思います。(ちなみにどういうわけか、本屋で買ったらアマゾンの値段より400円くらい安かった)


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