金川晋吾さんのドキュメンタリーノベル、『いなくなっていない父』を読み始めたら面白くて面白くて止まらなくなり、しまに感想まで書きなぐりたくなったので思いのままにしようと思います。 作品と書籍の面白さ 金川さんの写真作品とその被写体であるお父さんの説明についてはいつの間にか目にしていて、とても気になる、不思議な魅力を感じる連作だと思っていた。実は横浜市民ギャラリーあざみ野での展示やそのときに國分功一郎さんとの対談も実は聞きにいっていた。そのときの日記を読み返してみると「金川さ
ヘッダー写真=撮影:松尾宇人 はじめに 2022年の7月16日~8月14日まで墨田区のToken Art Centerで開催されていた大学の同期の大西香澄の展覧会に行ってきた。なかなか見応えがあったし、自分がインスタレーションについて修論で書いていたことにもかなり関係した興味を共有する内容だったので、せっかくなので文章を書いた。少し長くなってしまったが、行けなかった人にもどんな展示だったのか、どんな風に面白かったのか伝わるように、かつ、他のインスタレーション・アート作品
またもや最近読んだ本や見たドラマなどに絡めて考えたことなどを、知り合いのブログを読むのが趣味だという奇特な人に向けて書きます。相変わらず三体シリーズが面白くて、本編の作者とは別人がネットに投稿したものが話題になって翻訳までされているという『三体X 観想の宙』を読みました。 三体人による欺瞞学 三体シリーズを読んだ人はXがまだでも理解していると思うのですが(読む予定の人にはまあまあなネタバレになってしまうので読後に来てください)三体人たちは地球の人類とは大きくコミュニケーシ
やはり毎度おなじみの挨拶ですが、この文章等は知人友人の日記を読むことを趣味にしている誰かに向けたり、特に向けていなかったりして書かれています。 生きているということは非常に暇で、忙しいと思わされることというのはすべて壮大な暇つぶしの一環であるということは薄々勘づいている人も多いのではないでしょうか。というのも、人生で何を求めているのか問われたところであなたはそろそろ死になさいという順番が回ってくるまでの待合所のようなところをウロウロしているだけだからです。まあもしかしたらもっ
最近、というかもう数年前からずっと気づいていたけど、映画やドラマの登場人物が膵臓がんになる確率が高すぎる。主要な登場人物が膵臓がんになってしかも死ぬことが確定している演出を含む映画やドラマは枚挙に暇がない。 TENET(テネット)もスリー・ビルボードも大好きな映画だけど、正直言ってクライマックスに膵臓がんの話が出てきたときはせっかくいい話なのに勘弁してくれよ!と思った。なんで胃がんでも肺がんのステージ4って言い方でもなく「膵臓がん」とするのか。「この人確実に死ぬ人でーす
思ったより9月以降忙しかったような気がする。あんまり思い出が無い。 2021年の下半期(というか年末の休みでほぼ消化しただけ)にみたり読んだりして印象に残って、考えたことについて。 本はだいぶ前のものだけど、これ。 『東京の生活史』は相変わらず家でしか読めないから(重すぎて・・・)ダラダラ読んでるところだけど、こちらは薄いし短いまとまりで読みやすかった。まあ『東京の生活史』もひとつのまとまりは短いんだけどね。読みやすいんだけどね。つい途切れなく読んでしまう+大変な量なの
2021年の上半期、忙しい中でも心に残った読書や鑑賞があった。それを通して身近な問題についてもあれやこれやと考えを巡らせたので、友人のエッセイを読むのが好きという奇特な趣味のあなたはぜひ読んでいってください。 まず最初に2つの作品を紹介しつつ、共通しているテーマ、表題の「受け入れられ」について少し考えてみたい。 最初に紹介したいのは(といっても大半の人が既に読んでいる気がする)、SF小説の『三体』。冒頭から明らかになる筋書きしか書かないので未読の人も安心して、私が問題
「授業」とは、二十代後半になってから通い出した大学院で改めて出会った。大学院では学部時代に気になりながらもできなかったこと、つまり研究とか論文とかをするつもりだったが、入ってみたら毎日面白い授業、授業との出会いだった。 良い授業は犬との散歩に似ていると思う。 犬との散歩は、言葉は使わない。変わる季節の中で何度も何度も同じ場所を行き来するうちに、ある日、犬が以前、リスを見つけた木の下で立ち止まったりする。 犬は話さないから、なぜ立ち止まったか本人に確認してみることはできな
前半では、『かくう生物のラブソング』における生還者たちとしてのゾンビと日常のパロディを送る人々の様子を確認しつつ、実際に近親者が亡くなった際に個人的に抱いた、「死者がいつでも、何度でも知っていたままに自分の中に再生される」ために感じる身近さを吐露してきた。 この2つのことから見えてくるのが、以下のようなことではないだろうか。 生きていた者は既に死んでいて、そこにいないのに、まだいるかのように振る舞うというというのはゾンビと共生するほど異常な見た目ではなくとも、いつで
昨年末、大晦日。私は締め切りが間近に迫る修士論文をどうにか終わらせる目処をたてなければならないと躍起になってモニターにかじりついていた。正月休み明け、指導教官には休み中まですっと論文に付き合って頂いて申し訳ないやら情けないやら、と思いつつ大学に行くと、同じゼミで同じくM2の子のほうがもっとヤバい状況だったという話と、それでも色々と面白いアイデアが出て、なんとか一緒に修了できそうと聞いた。ほっとした。同じ代で修了を迎えた彼の修論は震災以前と以後の文学研究とのことで、具体例とし
予定がなくなりがちな日々、普段は出来ないことをしてみんとてするなり。 人生で最初に「ホームページ」を作ったのはもう20年ほど前だが、この10年間ぐらいは怠けていてしっかりと自分の情報を伝達するメディアを所持してこなかった。特にTwitterはずっと会話が続く「公」な感じが自分にはあまり合っていなくて、もう少し格式張って自分の所有物、自分だけの部屋、自分だけの好きなことをできるテリトリー的に振る舞えるところでなら発信してもいいのではないか、と考えてはいた。しかし作る暇があ
鉄は熱いうちに打て!ということで立て続けに実験しました。(※鋳造に使用しているのは鉄ではなく、錫と鉛の合金です) 前回使用して失敗した錫+鉛のハンダ棒、やはり同じ温度に加熱すればまた「湯」(融点以上の温度に加熱されて液体化した金属をこのように呼ぶらしい)になってくれるので、その可塑性を生かして再度鋳造します。 前回、石膏の扱いに苦労して失敗したので、今回は別のもので型取りをします。 生花用のオアシス、とかフローラルフォーム、あるいは生花ブリックなどと呼ばれるものです。1
簡易鋳造をしてみようということの記録です。ちなみに今回、石膏での型作りに失敗してしまって、全体的にグダグダで終わってしまっています。残念!次にいかすための記録です。 まずそもそも簡易鋳造とはなにか?その説明は使用する材料でだいたい説明可能である。 材料1はんだ用の棒。ホームセンターで700円くらい 錫60%鉛40% 材料2 石膏。重さx0.74の水を溶いて 30-40分くらい待つと硬化する。 まずは型作り 金属を流し込むのによい型を作る。しかし今回この肝心要の型作り