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「王の病室」の感想と、これからの専門的医療

先日王の病室という漫画を読みました。

https://magazine.yanmaga.jp/c/kingsroom/

現代の医師を取り巻く厳しい状況をリアルに漫画化しており、特に勤務医が感じる曖昧なわだかまりを理路整然と説明してくれています。

勤務医を取り巻くシステムは、フォーマットが古くなり時代の進化にそぐわなくなってきているにも関わらず、その改革をする立場の人間はいまいちその課題に対して解像度が低いという状態が続いているように思います。
この記事では王の病室を参照しながら、現代の医療システムが直面する課題と、一つの解決方法について書きたいと思います。

※この記事は利益に走ったり努力をやめた医師を糾弾するものではなく、今後専門的治療をどうやって支えていくのかというのを考察する目的で書かれています。


<名医は求められていない>

医師の大半は開業医勤務医に分けられるかと思います。
開業医は主に軽症を扱い、その中で重症が疑われたら、専門的な治療を提供する勤務医のいる規模の大きい病院に紹介する、つまり「ふるい」にかける役割があります。
つまり知識・技術で難病に立ち向かい命を救う、皆が想像しやすい名医はどちらかというと勤務医側です。

一方現代において、勤務医の待遇が客観的にみてそれほど良くないことがSNSや転職サイトを通じて若い医師・医学生に知れ渡り、彼らが採算性の低そうな専門領域に進むことを避ける傾向があります。
実際医局に残る予定の若手医師もわずか1割程度となっています。
大企業で終身雇用が崩壊してきているのにも通じるものがあるように思います。

若い医師ほど医局に残る予定がない
(https://www.recruit-dc.co.jp/contents_feature/no1812b/)

どんな希少疾患も知識と観察で瞬時に見抜き最新の治療を実践する、もしくはたゆまぬ鍛錬と解剖知識でどんな手術も難なくこなす、そんな名医になりなさいと医学教育を受ける一方で、当事者にとってはいかに採算性の高いキャリアデザインをするかという方が大事なのです。

<現代の「正しい医師」とは>

王の病室1巻「名医の名札」より
・日本の診療制度では全ての医療行為は定価で提供、医師がそれを勝手に変えることができない
・難病/奇病/話が長い患者はさっさと他に押し付けて、行儀のいい患者だけを定期的に通わせる

セリフの中で指摘された通り、悲しいことに資本主義の中では難病に向き合うことは採算性が低く、そのような名医になることは求められていないという結論に行き着いてしまいます。

現代における「正しい医師」とは
・診療報酬制度の中(保険診療)で薄利多売ができる
 (3分診療で次々と患者を診るクリニックなど)
・診療報酬制度の外(自由診療)で金持ち患者相手に高額医療を提供する
 (美容医療など)
・これらの医院の経営者となり、診療は主に雇われ院長に任せる
なのかもしれません。

要するに資本主義の文脈の中では、難病を治療する名医は採算性が低く厄介者でしかないということです。

<医師の給料>

もちろんそんなの倫理的におかしい、名医になって医師としての使命を果たしたいという医師の方が多いでしょう。
医師がお金の話ばかりして卑しいなどの意見もあるでしょうし、自分自身お金のことはあまり話したくないのですが、これから未来をデザインする若手にとって最も重要な要素であることは間違い無いでしょう。
実は悲しいことに、日本では勤務医は早期から給料が頭打ちになる一方で責任だけ増していきます。

王の病室1巻「名医の名札」より

勤務医も一般から見て高所得であることは間違い無いですが、給料が頭打ちになる年齢と、さあこれから子供に教育費をかけようという年齢がほぼ一致しています。
キャリア初期は名医を目指してがむしゃらに努力し、専門医を取る頃にはこの事実に気付きます。開業した同級生の子供達の方が明らかにいい教育を受けているのに、自分は仕事優先でいいのだろうか。
そして家族の生活を良くするために名医を諦め「正しい医師」へキャリアの方向修正をします。
そんな医者はかつては多かったかもしれませんが、さらにこの情報化社会において「最初から名医を目指さない」若手が増え続けています。

実際に先日、公式文書で「美容領域で医学部2つ分の新規医師採用」が指摘されています。
日本医学連合会「専門医等人材育成に関わる要望書

医局に入らずコスパ重視で美容業界に行き、最初から病人病気は相手にしないというスタイルが増えていると言うことです。

<開業の利点と欠点>

利点は主に経営者になることによる自由度と採算性かと思います。
SNSでは医局を辞めて開業もしくは自由診療に移った医師達が「家族との時間ができた」「収入が増えた」と口々に呟き、開業の正しさを主張しています。
参考:勤務医の年収はどれくらい?年齢や勤務先ごとの平均年収を解説

一方欠点は、学術的に医療の発展に貢献したり、直接自らのスキルで患者の命を救うという、「格好いい仕事」を諦めなければいけないことです(もちろん開業医になっても熱意を持って英語論文を書き続ける医師も少数います。)
また経営者になることは倒産リスクを抱えることを意味しています。

カッコイイ仕事は給料が安い

<中堅医師が直面する課題の整理>

勤務医を続けた場合、専門医を取る時期には給料が頭打ちになり、今後責任だけが増えていく状況になります。
一方でそれまで積み上げたものを手放して勤務医を辞めればさらなる給料を生活や子供の教育費に充てられ、また家族と過ごす時間も増えます
それゆえに自分のキャリアと家族の幸せを比較し、中堅医師が勤務医を次々と辞めていっています。

開業医やプライマリケアの医師からみた勤務医は、「尊い仕事してるけど家族とかお金とか大丈夫なのかな?」「独身だったり実家が太いから続けられているのかな?」みたいな印象だと思います。
また、医局から中堅医師が大量にいなくなり、残った医師がさらに忙しくなる中、「今後の臨床や若手教育を支えらるのかな?」「まあ誰かアツい医師が何とかしてくれるかな」と考えます。
一言でまとめると「今後も名医を目指して頑張りたいけど、家族のことが大事なのでこれまでのキャリアを捨てて格好いい仕事は諦めざるを得ない」ということです。

ここからはファクトベースでなく個人的意見になります。

<国外と比較した日本の勤務医の強み>

実は日本のハイボリュームセンターで多くの症例を経験できることはある意味特別なことなのです。
ヨーロッパ圏では欧州連合労働時間指令により勤務時間が厳しく管理されています。
したがって日本の一部の病院であるような、外来や手術を無理やり詰め込んで夜遅くまでこなすということはありえません。
つまり、ハイボリュームセンターで普通にやっていれば、他国の医師と比較し優れた臨床経験を積むことができるのです。
(もちろん診療科間の違いはあります。例えば心臓外科や移植外科ならアメリカなどに行った方が多くの症例を経験できるでしょう)

医者としての評価のベクトルとして、臨床・学術・教育の3本の柱がありますが、世界相手に学術で戦うには英語が母国語でないというビハインドがあります。
モーレツ世代の流れを汲む現在の多忙な労働環境は、3本の柱のうち臨床で世界レベルに達するには逆に利用すべき環境ともいえます。
特にコスパ重視の若者が増えているので、ハイボリュームセンターで症例を勝ち取る競争は昔より激しくないかもしれません。

また日本と違って海外では開業医(プライマリケア医)よりも専門医の方が給料もインセンティブも高いというデータもあります。

若いうちにゴリゴリ臨床経験を重ねてから海外に出るのは悪い選択肢ではないのではないでしょうか。

<今後の医療に対する提案>

結論から言うと、給料が頭打ちになる時期に海外に出て、金銭や子供の教育の不安がなくなった段階で、社会貢献の意味で日本の大学病院に戻ってくる、というプロセスが妥当なのでは無いかと考えています。

  • 若いうちに楽をせずしっかりと臨床力を身につけ、それと同時に節制して最低限の資産を貯める

  • 子供の教育に悩む時期に、それまでのキャリアと貯金を活かして海外に出る

  • 専門性を磨いても給料が頭打ちにならない場所でさらに自己研鑽を続ける。

  • 子供の教育にも目処が立ち、資産もある程度貯まり、社会貢献や日本への還元の機運が高まったら日本に帰国する。

  • 大学病院で臨床・学術・教育に従事しやりがいを追求する。

これをせず大学病院で勤務医を続けると、いつかその相対的な待遇の悪さや根本の医療制度に文句ばかり言う人になってしまうかもしれません。

いまさら医療の仕組みは変わらないので、受け入れられる部分は受け入れて、何とか家族の幸せや金銭も確保しながら自身のキャリアを追求する道を探していくのが良いのかなと思います。

<最後に>

この記事では前半部分で王の病室を参考にしながら現代の医療システムが抱える課題を指摘し、後半では立派な医師を目指そうとしたキャリア初期と希望の見えない現状の狭間で葛藤を抱える中堅勤務医が、今後どのような意識で日本の専門的な医療を支えていくべきかというテーマで考察しました。

この記事がどなたかの参考になれば幸いです。

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