新しい世界を見たかった。だから、僕はイタリア語を勉強し始めた。

僕は「言語」と「シェア」で人生を切り開いてきた。(2)

母親が翻訳家で、海外の文化に寛容な性格であったため、
僕は中学校の時の成績を使って、年間留学を高校2年生の時にさせてもらった。

英語圏以外の国に留学をしたのは僕の高校では僕が初めてだったようだが、
僕は学校の先生の反対を押し切ってイタリアに行く事にした。

理由は、旅行番組で見るイタリア人が
いつも笑顔で家族と接している姿が印象的だったからだ。
例えばアメリカを選んでニューヨークに行っても、言語は変わるが、
東京と同じように大都市生活という意味では何も学ぶものがない。
生活にゆとりがある家族との時間を大切にするイタリアに行けば、
留学団体の指示でイタリア国内のいかなる場所に飛ばされても、
異なる生活が待っているのは、明らかだった。

留学団体からの合格を得て、準備をし、イタリアについた僕は驚いた。
「なんだ、この山は!なんだ、この湖は!なんで、馬が道で歩いてるんだ!」

僕は、イタリアの北部コモに派遣されたが、
どこでもドアを通り抜けたかのように、
それまでの17年間の人生で築いてきた常識や経験が
何も通じない場所についてしまった。

黄色、緑、赤など明るい色の服を着た
ニコニコワハハと笑ってばかりの7人も兄弟がいる
ホストファミリーに僕は配属された。
何か特別なことがあったのだろうかと、
笑っている訳を知りたくてよく観察してみたが、

数日しただけで、それが彼らの「生き方」なんだと衝撃を受けた。

早くこのホストファミリーと一緒に笑いたくて、僕は勉強をした。
家族と一緒にご飯を食べないのは朝ご飯だけで、
イタリア人はお昼ご飯と夜ご飯は皆で一緒に食べる。
僕にとってご飯時は、大きなアウトプットの機会で、
お昼ご飯の後にはシンプソンを観て、夜ご飯の後には皆揃って映画を観た。

ネガティブな会話の仕方を知らない彼らは、いつも人と楽しむのが上手だった。
人の幸せを自分事のようにハイになって喜ぶ姿は日本人の僕からすると、
全然が全部、新鮮だった。

家のベランダから180度に広がるコモ湖がどこまでも透き通っていて、
ホストファミリーとは山奥まで車を飛ばして栗を取り、
家に帰ってからそれをひいて、栗のパスタをつくり、

東京では絶対あり得ないようなその生活と
イタリア語の愉快な音が、僕を優しくさせた。

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