お寺の門には萌えが詰まっている
本命に出会った。初めて南禅寺の三門に対面した時、私はそれを確信しました。
京都には5度目の訪問だったあのときから、私は京都を訪れるたびにそこで時間を過ごしています。最初に私を連れて行ってくれた友人は、隣で私がそんな衝撃を受けていたとは露ほども知らなかったでしょう。ただ無邪気に水路で写真を撮っている23歳の女の子だと思ったに違いありません。ところがみんなが写真映えにはしゃいでいる間にも、私はひとりその門の力強さに圧倒されていたのです。
これです。これが南禅寺の三門です。トップ画像は後々出てくる東本願寺ですが、こちらの南禅寺がわたしの本命門です。
いかつい木造寺院を目の前にしたとき、日本人で良かったと心の底から叫ばずにはいられません。静寂のなかでそれほどに引き込まれそそられる建物が他にあるでしょうか。いや、ない。
安心してください、今日は寺のような男性の話ではありません。男性のような寺の話、といったら語弊がありますが、私が京都旅では毎回訪れてしまうほど好きな木造建築の話をしたいと思います。もともと日本史専攻でもなく、残念ながら宗教や建築に詳しいわけでもありません。でも寺社仏閣の知識がほぼないのに、そのフォルムを永遠にみていられるほどにいい。
ちなみに私は、好きな男性のタイプを聞かれた時に「南禅寺の門みたいな人」と真剣に答えていた時期があります。好きな男を寺に例えるな、と友人からは本気で引かれていました。
でも冷静になってみてほしい。寺、めちゃめちゃいかしてるよ。
南禅寺
臨済宗大本山 南禅寺
私の大本命、南禅寺。これはその後も3度ほど京都でお気に入りを探してみましたが変わらず、むしろ何度行っても飽きません。三門をみるだけなら無料だし、近くに住んでいたら毎朝通うのに。
平安神宮から歩いていける森の中に佇む南禅寺は、琵琶湖から水を引いている水路である「疏水」が有名です。そこには若いカップルや外国人観光客、浴衣を来た女子たちがわんさか写真を撮っています。
でも南禅寺の個人的な見どころは、圧倒的に「三門」です。坂を上がって南禅寺に足を踏み入れると、最初に迎えてくれるのがこの門なのですが、これがメインの建物だと思ってしまうくらいに堂々としているんです。
朴訥とした木の色味がそのままなのに、圧倒的な迫力があります。無骨さと荘厳さと力強さに、包容力すら感じると思いませんか。
柱にそっと手を触れると、この場所が受け止めてきた年月の片鱗が流れ込んでくるような気がします。照れながら柱に手を当てている24歳、傍から見たらめちゃくちゃ気持ち悪いです。でも腕を回しても届かないほど太い柱に静かに手を当てているだけで、何かに包まれているような気持ちになれるんです。
そしてこの場所、季節との調和が素晴らしい。
秋は紅葉とのコントラストがとても映えます。
そして夏は、新緑に照らされている京都の暑さから逃れるように、この山門の周りで涼む人がみられました。本当にここだけ涼しい風が通るんです。
人間ってシンメトリーなものをより美しいと思うらしいですね。美人は顔の左右差がないとか、よく聞きます。それで言ったら寺社とか仏閣とか、ほとんど左右対称なのです。そりゃ本能的に惹かれるわけだ。
外見も完璧で優しさも強さもあるなんて。
この門のような人に出会ったら、私は確実に落ちると思います。
ちなみに三門というからには脇役なのかなと思ったあなた。これ、立派な正門です。この文章を書くにあたって調べてみたら、日本三大門の一つらしいですよ。なんだ、変態かと思ったら私めちゃくちゃ見る目あるじゃん。
東本願寺
真宗大谷派 東本願寺
京都市内で他に渋いな〜いかついな〜と私に刺さったのは、京都駅からも歩ける東本願寺です。駅から近いので、ちょっと時間が空いた時の観光にもうってつけの場所にあります。
東本願寺は木のままの色ではなく、迫力のある黒色をしています。そして金色と白の装飾がまたしても映えるんですよね。街なかにあるからって…おしゃれかよ…!!と思いながらも、かっこいいので即白旗です。
三門が自然の中の漢感がすごいのに比べて、東本願寺の御影堂門はシティボーイって感じがします。三門は柔道がはちゃめちゃに強そうで、御影堂門は外資コンサルとかにいそう。
東本願寺からは若干イケてる匂いが漂いますが、重厚さと迫力が好みなので今回はエントリーしました。戦国武将だけじゃなくて、寺が主人公の乙女ゲームとかあったらすごいキャラクター豊富になりそう。私がいくらでもキャラ設定考えるので、せめて南禅寺は私好みのイケメンにしてほしい…!(私はゲームに全く触れない人生を歩んできたため、もうそういう物があるのかもしれないけれどわからないんです。もう擬人化されているならみてみたいなあ。)
空、青っ!この日は梅雨が開けて非常に暑い日でした。連日の日差しに完全にあてられてゆるやかな熱中症の私達は、逃げるように境内に入ります。不思議なもので、お寺の中に入ると少し涼しい気持ちになるんですよね。
東本願寺は御影堂の中に入ることができて、撮影はできませんがだだっ広い畳のお堂の中で凛とした空間を味わうことができます。この裸足の空間が私はとても好きで、いつまででも心を無にしてそこにいたいと思ってしまいます。締めの黒と解放の空間。そのコントラストも東本願寺の魅力のひとつかもしれません。
京都に恋する
大学一年生の頃に初めて自分のお金で京都に行ったとき、私はこれでもかというくらい朝から晩まで歩き続けました。そしてその時、嵐山も含めてマップに載っているありとあらゆるメインの寺社仏閣を制覇したのです。歩いても歩いても魅力に出会う京都に衝撃を受けたのを覚えています。
だから、金閣寺、銀閣寺、清水寺なんかを見ていないわけではないんです。むしろ有名どころはそれぞれ何度か訪れています。それに平等院鳳凰堂の横にあるミュージアムの展示は非常に興味深くて大好きだし、夜の八坂神社の散歩だって欠かしません。
それでも、金閣寺の華美で少し神経質そうなまでに繊細な様子とか、清水のいつでも観光客でごった返しているミーハーさよりも、どうしても南禅寺に惹かれます。観光客を飲み込んでいくその門の威圧感ほど、私が痺れるものはありません。
以前ミャンマーの寺院(パゴダ)に行った時に、金ぴかで宝石を散りばめた美しい建造物にそれほど惹かれなかった理由もわかった気がします。朴訥としていればしているほど、いかつければいかついほど好きです。(そういえば私、ローマのコロッセオもしびれたなあと思い出します。)
こんなに萌えるものを見つけて、日本人で本当に幸せだと思う。
思い立ったら数時間でいけるんですから。数時間先には萌えの大群が待っているんですから。自分のアイデンティティはここにあるんだなあって酔いしれてもいいんですから。
次回京都に行くことがあれば、5年ぶりに知恩院を訪れたいと思っています。ここも、絶対にいい。大学一年のときには駆け足で通り過ぎただろうその場所を、今度は思う存分に味わい尽くしたいと思います。動けなくなりそうなので、多分ひとりで行くんだろうな。
桜の季節にでもいけたら最高ですね。
門に魅了され、京都に恋する。
きっとこれを読んだ友人たちには、また呆れられるに違いないけれど。