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いまだかつてないあえぎ

あまり行き慣れてない温水プールで泳いだ時のこと。そのプールは巡礼コース(高齢者が水中歩行する)、ヒトコース、半魚人コース、マグロコース(泳ぐのを止めるとすぐ死ぬ)に分かれていた。もちろんそんな札が付いているわけじゃなくて、なんとなく棲み分けがあり、先に来ている人の様子を見ていると、そんな具合に分かれていた。

ぼくがヒトコースで25mごとにハァハァ言いながら泳いでいると、マグロコースをものすごい勢いで泳いでいる人がいた。
アニメの登場人物みたいにぼくの目が細くなり、闇の中でそこだけ光が横に細く入った…はずだ。
「ははーん、女子にモテようといいとこ見せてるな…」
たまにそういう輩がいる。え?お前の妬みだろって?…はい、その通りです。すみません。温水プールにもごく稀に可愛い子がいたりしてね、まったく油断も隙もない…。

ところが、マグラーの彼は女子を見るどころか、全く休むことなくずっとトップスピードで泳ぎ続けている。さすがにマグロコース常連のツワモノたちもちょっと引き気味になって、半魚人コースに移っていく有様でマグロコースはマグラーさんの独壇場になった。

しばらくのんびり泳いで帰ろうと更衣室に戻った。そこへマグラーさんが入って来た。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ…」

マグラーさんはほとんど過呼吸でもう死ぬんじゃないかというぐらい全身であえいでいた。みんな彼に慣れているようで、特に見るでもないのだけど、ぼくは釘付けになった。水中での抵抗を考慮してのことなのか、趣味なのか、スキンヘッドだ。しかも生まれたまんまの姿で壁に両掌をつけて大股びらきで立っている。ちょうどアメリカで警官にボディーチェックを受ける時のような無防備な格好。

・・・!!・・・もしかして?・・・よっぽど「Are you HENTAI?」って訊こうかと思ったけど、怖いのでやめた。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・」

ぼくはゲイの人にモテることがあるので、もしかして誘ってるのかなと思い、さっさと着替えた。

水着をすすいで備え付けの脱水機にかけようとしたけど、すでに誰かの水着が入っていて、これから脱水するのか、脱水が終わってるのか、出して良いものか迷った。そこへ、マグラーさんが全裸で近づいて来た。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・」

ぼくはコーナーに追い詰められたボクサーのようにガードを固め、股も閉じ気味にした。すると、マグラーさんは脱水機を覗いて、

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、ちょっと、はぁっ、はぁっ、山本さん、はぁっ、はぁっ、はぁっ、脱水機の、はぁっ、はぁっ、はぁっ、水着、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、出してあげて、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」

と奥の方にいた常連さんに声をかけてくれた。
そう。普通にいい人だったんだ…。それなのに、ぼくは…。
きっと前世で善良なマグロだったために晴れて今世では人間になれたものの、まだ名残りがあるのかもしれません…いえ、絶対そうに決まってます。


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