猪木が死んじゃった❗
猪木が死んじゃった❗
子どもの頃、皆のヒーローはウルトラマン、ウルトラセブンであり、仮面ライダーだったよなぁ。
だけどね、私は変わった子どもだったものだから、ヒーローはアントニオ猪木だったんだよね。
プロレスは本当は嫌いだったんだよね。
私は流石に力道山をリアルタイムで観た年代じゃないけど、あの力道山の胡散臭いプロレスは、アントニオ猪木、ジャイアント馬場のB.Iコンビも引き継いでいたような気がするね。
当時あった国際プロレスのラッシャー木村やグレード草津、マイティ井上、ストロング小林の方が殺伐とした闘いの場の雰囲気を醸し出していたように感じたね。
今にして思えば、国際プロレスの面々は、猪木や馬場のようなスーパースターじゃなかったし、動きも華麗じゃなかった。金網デスマッチなど、本当に怖くて震えながら見ていたからね。だから、エンターテイメントには見えなかった。
つまりはそーゆーことだったんだと思うワケ。
話は戻って、猪木、馬場が所属する日本プロレスで内紛が起こり、猪木が除名されてしまったことが、その後に私が猪木信者になる為のきっかけがあったんだろうね。
借金を重ねて猪木が作り上げた『新日本プロレス』
間もなく馬場も日本プロレスを辞め、全日本プロレスを興すことになる。
ここからが、テレビ局、全国のプロレスファン、プロレスなど観たくない女性や子ども達を巻き込んでの、エンターテイメント・プロレスが始まったワケだ。
そーら面白かったね。
第二次世界大戦後、日本人はアメリカに対しての対抗心があったのは確かで、当時のプロレスは、小さい日本人レスラーが、大きな外国人レスラーをバッタバッタと倒すところに、虐げられた日本人の、戦争には負けたが、プロレスでは日本人の方が強いんだ❗と言う心が燃えたのだろうね。
そして私が猪木をヒーローと思い始めたのは、もはや戦後の混沌とした世の中に微かな光を見つけた的なモノではなく、日本とかアメリカとか関係なく、アントニオ猪木のプロレス、と言うジャンルの虜になったのだと思えるね。
猪木が常々言っていた、ライバルは馬場じゃない。巨人軍と相撲協会だ、と。
八百長だ、茶番だ、ショーだ、と言われ続けるプロレスという物に、市民権を与える為に動き出す。
私はワクワクしていましたね。
プロレスとは、猪木はロマンと語り、馬場は商売と語った。
その違いは、観ている側にしてみれば、とても大きな違いだったんだと思うね。
プロレスはエンタテイメント。
八百長と言われるのは違う。
確かに暗黙の了解があり、やってはいけないこと、勝ち負け、これは予め決まっていること。
だが手加減しているワケではなく、ここまでやると怪我をする、こんなやり方だと死んでしまう、その、ギリギリを観客に見せるのだ。
だから身体を鍛えなくてはならない。
だからエンターテイメントであり、八百長とは言えないスポーツ。
八百長と言うのは、競技としての野球や相撲などで、対戦相手と予め勝ち負けを決めておいて、観ている観客を本当の意味で騙すことだ。
しかしプロレスはそもそも競技ではない。勝ち進んだ者が優勝する競技ではないからね、『闘いを見せるエンターテイメント』なのですよ。
『闘いを見せるエンターテイメント』だから、マジで身体を鍛えなきゃならないんだよね。
プロレスにはブッカーと言う役目の人がいて、その人が対戦カードを決めて、勝ち負けを決めて、指名されたレスラーはそれぞれ、決まっている勝ち負けを覆してはならず、そこに自由はない。勝ち負けは決まっていても、あたかも、『どちらが勝つか分からない』を見せるモノなんです。
試合内容は、馬場の全日本プロレスでは大体の流れも決められていると言う。
猪木の新日本プロレスは、勝ち負けだけは決まっているが、試合内容はは決めてない。
対戦相手と相談するもよし、ガチでやるのもよし、ただ、勝ち負けだけは覆してはならない。
これが掟です。
数年に一度、アクシデントが起きるんだよね。
掟を破る『ブック破り』
しかしこれは、その人その人で原因や理由が違うわけで、何が火種になるか分からない。
俗にセメントと呼ばれる、真剣勝負になってしまったり、骨折させたりするわけだ。
なんかどんどん話が違う方向にいきそうなので、この辺りで本題に戻せは、そのセメントをやることもある猪木、普段の試合もまるでセメントに見せる達人であった。
だから、燃える闘魂 アントニオ猪木は、古今東西、日本内外、老若男女に支持され続けて来たのです😃
だから、猪木が死んじゃった〜❗と思うわけ。
猪木のユーチューブ・チャンネル
『最後の闘魂』を観ると、2020年2月の動画ではまだ元気で、また現役に戻ってと言われたら、何時でも戻れるんじゃね❓みたいに見える。
全身性トランスサイレチン・アミロイドーシス。
厚生労働省が指定する難病、医療費補助特定疾患だ。
たった3年弱であんなに痩せて、滑舌めダメで、車椅子じゃなけりゃ移動できず、コップの水でさえストローで吸えないほどに衰弱してしまった。
その様子を、敢えてファンに見せてきたアントニオ猪木。
猪木がいなければ、多分私は道を外れた人生を送っているに違いない。
You Tubeを観ていたから、後どのくらいの………は何となくわかった。
だから、ジョン・レノンの時のようにショックは受けても、立ち直れない程の状態にはならなかったけどね、だけどやっぱりショックはショックですよ。
最後に猪木が我々に送った詩を書いておく。
『道』
この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けば分かるさ
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