人生のハイライト
最近、人生のハイライトについてふと考える時がある。
自分は、仕事人生において、きっと今ハイライトの真っただ中にいる。
仕事人生と書いたのは、人生とは分けて考えたかったから。人生、いつまであるのかは、わからない。生まれた瞬間がハイライトになる可能性もある。でも自分の人生のハイライトは自分で決められるはず。
仕事人生は、長くても40年程度。 持論である、精神・脳みそ35歳限界説をもってすると、バリバリに働けるのは初めの15年程度。自分は今その15年をちょうど折り返しに入りかけのところである。
今年に入って、コロナが世界に蔓延して、いろいろと事情が変わった。その中でできることはないか、と考えて企画し、実施したプロジェクトが大きく当たった。プロジェクト自体は、去年から温めていたものであったが、それが今年になるとは思っていなかった。コロナが後押ししてくれたことは間違いない。(プロジェクトの内容はここでは契約上書けないのが悲しい。)
ハイライトはきっと後からいい思い出になるはずだから、今、この記事も書いておこうと思った。
自分は、朝から晩まで、仕事に向き合うことなんて今までしたことなかったし、することも想像していなかった。
そんな自分が、朝から晩まで、仕事をして、旅行先にまで仕事を持ち込んでしまった。人生に仕事が浸食していた。
毎日が激動だった。ものすごい反応と反響と売り上げがあった。受注キャンペーンはわずか2週間の間だけだから、と自分を言い聞かせて毎日を過ごしていた。
1時間ごとに変わる数値と戦略。コラボレーション先の担当者と深夜まで連絡を取り合い作戦を練った。
これからも深夜0時に仕事の電話なんてすることはないだろうし、したくもないけど。
キャンペーンの日々は本当にあっという間に過ぎていった。毎日何をしていたのか今は思い出せない。
キャンペーンの途中に、以前から計画していた旅行が重なったことは、本当にちょうどいい息抜きになった。ワーケーションなんて言葉をリアルに感じた旅だった。
新幹線の中でずっとPCと向き合う旅行なんて、あれが最後であってほしい。
毎日が怒涛の勢いで過ぎていく中で、体重もどんどん落ちていった。とにかく食欲が湧かなかった。1か月で4キロくらいやせた。
食べる量は減っても、日々の運動量は変わらず、むしろ頭をすっきりさせるために泳ぐ量は増えていたからやせたのだと思う。
あっという間に9月が過ぎ、気が付けば10月も半ばになり、今日はもう21日になっていた。
とりあえずの受注キャンペーンは大成功だったが、商品を準備する過程が想像以上にハードだ。今肌をもって実感している。
求めるレベルがとても高い。今までにないくらいに。パッケージの色なんて本当にシビアである。プロとしての仕事を間近で見た。かつてない刺激を受けている。
とにかく12月まで気が抜けない。製造の工程が1つ1つすすむたびに、心の荷が下りる。心の荷が下りるたびに、次の荷が大きくなる。
ああ、人はこうして精神のHPを減らしていくのだな。と頭のどこかで冷静に考えている。精神のHPの回復はとても時間がかかる。時には、消費に追い付かなくなることもある。そんな時に発行する負債は、もっと返すのに時間がかかる。そんな気がする。そうなると本当に戻らない。そこでダメになるか、スルースキルを自然と身に着けていくか、分かれていく。
これが持論の「仕事第一線15年限界説」である。働き始めて15年を過ぎると無意識のうちに守りに入っていく。自分をすり減らさないように。そして限界値が少しずつ下がっていく。そうして、馬力がなくなり現場を離れ、マネジメントをするようになっていく。理想論では、自身の経験を活かして、部下を指導していく。これが今までの自然の流れであり、仕方のないことでもある。うまくいっていない会社も多いとは思うが。。。。
今自分は、とにかく睡眠時間を確保すること、好きなことをすること、ほしいものを買うこと、私生活に我慢をしないことを心がけている。そうすることで、少しでも自分を保ちたいと思う。
人は誰でもきっとハイライトの瞬間を迎える時があって、そこでいろんなことを経験しながら、少しずつ身を削っていくのだろう。
しかし、まだわからないことはたくさんある。
「ハイライトは1回だけではない可能性も大いにある」と前職の後輩から言われた。たしかにそれもそうだ。ただ確かにいえることは、ハイライトは自分で創り出すということ。しかも結構狙って。その気が起こらないともうハイライトを迎えることはできない。
これから自分がいつまで生きるのか、働くのかは誰もわからない。だから、今ハイライトを迎えていると思えていることは、とても幸せなことのように思う。
長くなったが、今の心境を率直に残せてよかった。
早く寝よう。
2020.10.21
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