番外編:SNS依存と脱却
タイトル通りですが改めて。
キラキラ女子アピールをはじめとした
SNS依存について…。
まず、なんで「いいね!」が欲しいの?
見栄を張るからつらくなるのに、
いいね!や他人からの評価に
執着するからつらくなるのに、
それでも続ける理由って何?
身の丈に合わないハイブランドの物を身に付けたり、収入に見合っていない生活を投稿した際のいいね!に価値なんてある?
もっと自分がハッピーな気持ちになれる方法、見つけちゃおうぜ。
本当にキラキラしている人
SNS映えという言葉が飛び交うようになってからは、皆が注目浴びたさに必死になって同じような投稿をするもんだから筆者にはキラキラどころか霞んでさえ見える。
しかしその一方で本当にキラキラしている人がたま〜に現れるのだ。
そしてその人たちに共通しているのが彼らにはお勉強をしていたり熱中する物事があるのだ。
内容は本当に様々だが、筆者が出会った中では仕事に打ち込む人、趣味に没頭している人等が挙げられる。意外と多かったのは心理学や哲学、歴史上の人物についての伝記を読む人だった。趣味でいえば釣りや撮り鉄といったものが目立った。
しかし残念なことにSNSに没頭してる人ほど、本当にキラキラしている人の行動を「くだんねえ」「ダサい」と返してくる。
映えを狙って借金した人
ここでひとつ話がある。
筆者は上記の"本当にキラキラした人" の足もとにも及ばないが大人になってから勉強や読書にハマり始めた人間であり、
「つまんねえ」「くだんねえ」「ダサい」は実際に何度も言われたことがある。そしてそれを何度も言ってきた人がいたのだが彼女こそが常にSNSを気にしてるタイプの人間だった。
長くなるのでなんとなく簡単にまとめるが、
ある時を境に彼女とは連絡が取れなくなった。
後に他の友人から聞かされたのだが
" SNS映えのためのアクセサリーやらなんやらを購入、海外旅行、高級バーでワイン等、結果借金を抱えて返済に追われてる "とのことだった。
今まで散々キラキラした自分をアピールしてきて借金地獄となって我々に顔向けできなくなったのであろう。
そこまでして注目されたい理由とは…
最近よく聞く言葉ではあるが「見栄っ張り」「過剰な承認欲求」が関係していると思われる。
SNSが普及して随分と他人や世の中の動向がよく見れるようになった分、何らかの理由や事情で注目されたい気持ちが強くなったようだ。
流行りに敏感な人にもいえるようだ。
そりゃ確かに嫌われたい人よりも好かれたいと思う人の方が多いだろう。
しかし、注目されたらハッピーなのか?
そしてなぜ注目されるとハッピーなのか?
いいね!をされてハッピー!…ではなく
それは自分の存在が認められた感じがして気持ちいいという感覚であってハッピーとはまた違うのではないか?
自分で自分を認めてあげよう
ぶっちゃけた話、
家族が、他人が、自分を見てくれなくても
いいね!なんかくれなくても
自分が自分を認めればいいだけの話。
いたってシンプルだけど、
これが本当に難しいようだ。
じゃあどうするか?
自分が喜ぶことをすればいい。
SNSでキラキラを演じて後にも引けないようなら思い切ってアカウントを作り直す。
人生は一度きりだがアカウントなんて何回でも作り直せる。
個人的にオススメなのは
・図書館に通う
・語学、趣味の勉強をする
これだけだ。
あえて図書館をオススメするのは、電子書籍等のサブスクとも違って無料で借りれるし、本なのでデジタルデトックスにもなる。
急に読書しろと言われても何を読んだらいいかわからないだろう。
本のジャンルはなんだっていい。
ただ図書館の中を歩いてタイトルだけを見て惹かれたものを手に取って何ページか読んでみる。
そうやっていくうちに自分でも気づかなかった自分の好きなことや自分のパターンがわかってくる。
その趣味の中でまた新しい友人やコミュニティを築き上げていけば良いのではないか?
何より、好きなことをしている自分というのは自分でもわかるくらいに気持ちが前向きになり、物事が上手くいくようになる。
そしてその頃にはあんなにSNSに執着していた自分がアホらしく思えるだろう。
それがまさにSNS依存から抜ける瞬間だ。
おまけ
筆者は現在28歳。
もしかして同年齢、同世代にもSNS依存キラキラアピールしている人がいるかもしれない。
承認欲求が強くなる背景に過去の家庭環境が影響するという説もあるようだが
度重なる親の再婚と微妙に精神的な虐待を受けた筆者でさえ自分で自分を認められるようになったのだから大丈夫。
(めっちゃ時間かかったけどね)
俺には…私には…とか
年齢的に…なんて思わず、
まだ気づいていない自分の良いところを
たくさん探して見つけて幸せになりましょう
貴方の人生は貴方のものです。
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