謎の女
うつ病によるどん底から這い上がってる経過観察。(現在進行形)
私「謎の女」の歴史 ☆1996年生まれ(♀) ☆みずがめ座のO型 ☆既婚。フランス系カナダ人の旦那あり ☆セキセイインコを飼っている ☆各記事の画像は基本的に旅先の写真 じぶん史 最終学歴:高卒 小中高と人の言ってることが一度に理解できず、成績も悪め。人間関係も上手く築けず。 頑張って商業高校に進学するも毎年留年の危機に陥りながらも何とか無事に卒業。 その後勉強から逃げるように即就職。 ・21歳の時、先輩に誘われたホットヨガでヨガにハマりだす。 ・22歳の誕生日を迎
ちょっと過激なタイトルになりましたが。 昨今よくあるイジメによる自殺、警察までもが動く事態に。 こんな状況だからこそ今自分が思うことを伝えたい。 ごあいさつ 筆者は実は過去に いじめ加害者 だったことがある。のちに 被害者 の方も経験している。 今回は加害者の立場として具体的に何をやったのか、どんな心情かを話していきたい。 ただ、本当に申し訳ないのですが いじめテーマの記事は有料とさせていただきます。 有料記事は書かないつもりで書いていたけど いじめのテーマはあまりにも
突然だが筆者は子供の頃、母親に愛されていなかったと感じる。全く愛されていないというより、愛情が偏っていたように思える。 筆者の母親は支配的で共依存、無神経な人だ。今でいうモラハラ気質もあると思う。 具体例を挙げると本当にキリがないが ・私の友人の見た目についての悪口を言う 「貴方くらい可愛い子はAちゃんじゃなくてD子ちゃんみたいな可愛いグループと仲良くするべきだよ、なんでAちゃんなの?あの子可愛くないし…」というようなことを小中高とずっと言っていたのだ。 ・何かお手伝
前回に引き続き自己分析の話になるのですが… どうやら5連勤と静かに黙々とこなす仕事が 苦手なのではないかという疑惑が出始める。 次に行った自己分析として その仕事の… 好きな部分/嫌いな部分 について書いてみた。 例えば前職である事務でいえば 商業高校で学んだことが活かせてやりがいがあるが仕事内容に飽きてしまう。(何度か転職するも)どこにでも女性特有のドロドロや高齢上司からのパワハラがあった。巻き込まれなくないから孤独になりがち。でも本当は誰かと話したかった。 一方、芸
さて複雑な感情が混ざりに混ざって 混乱していた私がとった自己分析方法として まず 紙に書くことから始めた。 「なにがつらい?」「早起きしても準備が遅くて仕事に間に合わない、計画的に動けない」 ↑このようなことから書いていった。 ちなみに当時の私の仕事は派遣の事務職で ・9時〜17時残業なし ・土日祝休み、お盆年末年始休み と、かなりいい条件に聞こえるが 上記の自己分析で掘り下げていった結果 5日連続勤務だと疲れが抜けず負担になってるのではないか? という考えにたどり着いた。
前回 疾病利得 という言葉に触れたが 今回はその言葉を知ってからの自分について 話していく。 たまに誰かに会って話す時に 自分のことを知ってほしいと思うばかりに 「私はうつ病とパニック障害があるから…」と言うようになってしまった。 同情してほしいかのように、或いは仕事が上手くいかないことの全てがうつ病のせいであるかのように。 「うつ病だから人生上手くいかない/仕事行けない日があっても仕方ない」を都合良く使ってないか? それ本当にうつ病のせいなのか? もしかして発症した当初
タイトル通りですが改めて。 キラキラ女子アピールをはじめとした SNS依存について…。 まず、なんで「いいね!」が欲しいの? 見栄を張るからつらくなるのに、 いいね!や他人からの評価に 執着するからつらくなるのに、 それでも続ける理由って何? 身の丈に合わないハイブランドの物を身に付けたり、収入に見合っていない生活を投稿した際のいいね!に価値なんてある? もっと自分がハッピーな気持ちになれる方法、見つけちゃおうぜ。 本当にキラキラしている人 SNS映えという言葉が
そんなある日、ネットで見つけた言葉 それこそがタイトルにある 疾病利得 であった。 まずこの言葉の例として 【病気でいることによって家族や周りの人間が優しく接してくれたり堂々と会社を休めること】であるが どうも自分に思い当たる節があるような気がしてならなかった。 「うつ病だから体調に波があるものだ。休んだっていい」 もちろんそれは間違っていないのだが、一方でそれを都合よく利用して休んでるような気になる日もあった。 うつ病は真面目な人がなりやすいというのは皆さんもよく耳にす
今回は職場復帰とその後の仕事にフォーカスしていこう。 服薬が始まってから数日身体が動かなかったので当然休職せざるを得なかった。 休職期間は1ヶ月くらいだったと思う。 職場の理解もありその後無事に復帰するも、 うつ病特有の気分の波は消えることはなかった。 その後は職を転々とすることになる。 " 自分を理解してくれる職場があるはず " そう信じて。 しかし、何だろう?この不快な安心感は。 自分の病状に理解のある転職先に感謝している。 だが自分が納得していないのだ。
バスに乗るという私なりのリハビリが始まる。 これは家族の協力がないと 非常に難しい作戦である。 ・目的地は駅前の繁華街。 自宅からバスで30分くらいの距離 ・私はバスで向かい、母は車で向かう。 ・現地で合流して少し歩いて、帰りは母の車で帰る。 ・具合が悪くなったら途中で降りて電話をする。 この条件のもといざ出発。 いろいろ神経質になっていたのだろう。 バスの音さえもこわかったが 無事に目的地へ到着。 この道中、やっぱり帰ろうと何度思ったことだろうか…(笑) このリハビ
前回の記事まで私の精神疾患の始まりについて説明したが、結局のところ発症してからが大変だった。 まず生活リズム。 これは薬のせいもあったのかもしれない。 服用開始した最初の数日間は丸一日寝て過ごした日もあった。 食事や入浴等さえやっとの状態だった。 信じられないかもしれないがこれが現実だ。 実家暮らしだったので何日か家事のお手伝いをするようになって動けるようになり いよいよ外に出ようと試みるも、 玄関で足がすくんでしまう。 友達や大好きなレストランのことを考えても、外に行く
浴槽での違和感を感じた日から数日後 出勤した途端激しいめまいと立ちくらみに襲われた。 その日はやっとの思いで早退し 病院に駆け込み、状態を話すとまずは貧血を疑われた。 しかし2.3ヶ月ほど前に職場の健診を受けたばかりで血液はもちろん他も異常は無かった。 念のため検査受けるも、結局悪いところは無く最終的に【全般性不安障害】【うつ病】【パニック障害】という診断結果が出た。 ありきたりなセリフだが 「まさか自分が…?」 そして診察室で涙したことは覚えている。 ちなみに当時うつに
2019年の1月。 とある日の夜。 浴槽に浸かっているにも関わらず ずっと鳥肌が立っていたのだ。 追焚き機能で温めても浸かってる部位が赤くなっていくだけで、ちっとも温まる気がしないのであった。 いくら冬とはいえ浴槽に浸かっていれば温まるはずだ。 そんな状態でも私は大して気にも止めなかった。 だがこれこそが私のうつ病の始まりであった。 【全般性不安障害】【うつ病】【パニック障害】【ADHD】 2024年2月現在、 症状が出る頻度は激減したものの 時々来る波には悩まされながら