【Thisコミュニケーション感想】デルウハ、ありがとう
Thisコミュニケーションを読みました。kindleセールはいいね。最終回までのネタバレを含みますので、気になった人は1巻の無料期間中にぜひ読んでください。1話で合う合わないは判断出来ます。1話で掴まれたらあとはもうずっと、常に期待以上に面白いです。
JUMP COMICSの名を冠していて大丈夫なのコレ、、、!?と思うほどのスレスレ主人公が見せる、非情な合理性が気持ちよかったです。亜人の主人公(永井圭)から良心を抜いて軍人を付与したらコレになりそう。
最終盤は少し駆け足な気がしなくもなかったですが、序盤の「コミュニケーションは勘違い」という本筋からブレずに、それでもその勘違いが世界を前進させているという光100%で終えた、とっても素敵な作品でした。ほんの少しだけ「大人は汚い」「成長の余地のある子供に罪はない」的な、細田守的/ピーターパン的な諦めを感じつつも、読後感はスッキリとしています。
倫理観が無い主人公が合理的に動いた結果、周囲からの非合理的な人徳を獲得してしまうという喜劇は『幼女戦記』にも通ずる面白さがあります。ラブコメディお約束の展開に本気でついていけない主人公に、ヤレヤレ系の頂点を感じます。殺れ殺れ系かもしれない。オヤジギャグ言ってないでちゃんと感想を書きます。
▼深掘りされないデルウハ
本作は「主人公が舞台装置に徹する」という珍しい作品だったと思います。まず、デルウハって過去が一切分からない。スイス出身の軍人ということ以外、年齢も人種も分からない。ピンク髪ってなんやねん。ジャンプ作品でピンク髪の主人公が虎杖悠仁と斉木楠雄とデルウハで絞れないってどういうことだ。
例えばデルウハが元戦災孤児で、イペリットの攻撃で両親や頼り先を失って軍役に入り、そのために「1日三食」にこだわっている──みたいな前日譚があったら、多分ハントレス達は一瞬で虜だったと思う。自らの境遇に重ねて。でもデルウハはそれをしない。嘘でも言わない。作者がそれを望んでいなかったから。
デルウハはハントレス達に立ち塞がる試練であり、災害であり、恐怖であり、回り回って親だった。ハントレス達の成長と世界救済の為の舞台装置であったと言わざるを得ない。
▼デルウハからヒトの気配を感じない
ともかく、デルウハには「アイデンティティの核」みたいなものが食事以外に描写されていないんですよね。彼の欲求はただひとつ「1日三食」だけだった。それしかなくて、それだけを求めて生きていて、それがなくなったら自害する。
「生」に対する欲求があまりにも無さすぎる。「明日を生きること」より「ご飯が食べられないこと」を嫌がって迷いなく自害する主人公、ヒトと言うよりは何か別の存在に感じられる。もはや生命としても怪しい。自己保存のために食べたい、じゃなくて、食べたいから生きた、なんだよね。そういう点では生物よりもなんていうか……なんだろう、生物の倫理では語れない存在になっている。
世界を救いたくないのもそう。彼は「より長く食べ続けられる方」を常に選んで生きている。そこに感情は入らない。やっぱり菌糸類とかAIの方が生態が近いんじゃないかなぁ、、、
▼コミュニケーションと信頼と勘違いと
デルウハがハントレス達にさせてしまった勘違いは沢山あるけれど、大きなものは2つ。「世界を救いたい」と「愛してる」。王道も王道たる2つの尊い感情が、主人公からすればまったくの勘違いでハントレス達に伝わった喜劇。フィクションの肝は「緊張」「誤解」「それらからのカタルシス」。あまりにも見事な構成である。最近ホントにこの位の巻数でキッチリまとめ上げてくる傑作が多すぎる。幸せだ……。
慈愛の感情を持たない装置であるデルウハをよそに、ハントレスたちがどんどん成長して情緒を安定させる対比もよい。人間の外側に改造されてしまったハントレス達に必要だったのは、情緒がある故にハントレス達を受け入れられなかった並の人間ではなく、感情が無いために物事をフラットに観察できるデルウハだったという皮肉。デルウハとハントレスはどちらも世界から受け入れられなかったが、結果的に世界を救った。
▼装置のまま死んだデルウハ
本記事のタイトルにもあるとおり、デルウハは死んでよかった。というか、死んでいないと駄目だと思う。ハントレスの自立のための装置であって、装置としての役目が終わったら舞台から退場するのがお約束だから。
デルウハが感情を得て、世界を救ったハントレス達を慈愛の目で見つめる最終話──みたいなのでも一応感動は出来たよ。大団円だね〜って。でも、デルウハは死んでくれてよかった。感情を獲得しないまま、食だけのために生きるナニカとして死んでくれて救われた。
それは私への救いだと思った。ヒトと同じ感情を持たなくても、せめて世界の装置にはなれるんだっていう形の救い。世界を救うかもしれないけれど、ひとつひとつのコミュニケーションなんて、どうせ勘違いなんだよと作品は語る。誠意あるコミュニケーションは大事、だけれども、感情を乗せる必要は無い。受け取り手が「そう」と思えば、それでよいのだ。私は装置のまま死んでいい。
▼世界は勘違いと偶然で進む
作者がそこまで意識して描いているかは分からないけれど、ハントレスたちが戻ってきた世界が「それ以前の作中世界だった」とは明言されていないんだよね。「時間がある」「同じ場所っぽい」という2点だけで、ハントレス達はそこが元の作中世界だと断定したけど、パラレルワールドっていう説だって大いにあり得る。だってハントレス達は実際にタイムリープしてるし。四次元方向の移動ができるなら、より高次元の移動だってしている可能性がまだまだ捨てきれない。
野営生活の中でハントレス達を一度も思い出さなかったデルウハもいたかもしれないし、墓を作らなかったデルウハもいるかもだし、戻ってきた時に頂上ではなく麓を目指したハントレスもいたかもしれない。よみの呼びかけに呼応しなかったデルウハもいただろう。すべてが偶然にも重なり合って、あの世界は救われた。デルウハの計算力でも、ハントレス達の想いの力でもなくて、偶然と勘違い(ディスコミュニケーション)が世界を救った。
すごい構成の漫画だった。もう一度読んできます。もう少し深めの感想を書きたい。
ばいばい。