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変化と原点

noteの存在感が下がってきてるな。日常生活において。自分の気持ちに嘘はつけない。僕がそう思ったらそれが全てだ。以前は毎日書いて。公開することが喜びだったわけだけど。最近は慣れたというか。日常の一部になって。ギム的に感じることもしばしば。アクセス数を毎日気にしたりも。なくなったな。健全なことではある。本業、っていうかnoteは副業でもないのだが、本業のいそがしさは理由にならない。僕が慣れちまったことが問題なんだ。非日常の日常化。こっから続けられるかが、凡/非凡の分かれ目だな。まあ凡なんだけど。文筆家の方々は、これを何十年もやってる訳だし。一円にもならんが、続けることくらい、できないとねェ。ただ続けるにあたっては、少し変化つけていかないと。と思います。形骸化された反復だけなら意味がない。辞めた方が良いな。反復も一種のマインドフルネスではあるが。俺が癒やされないなら、マインドフルネスではない。少し変化、大袈裟に言えば新しい試みも入れていかないと、無意味な活動になってしまう。あるいは原点回帰。本来あるべき姿。早朝、無心でペンを走らせる自由を取り戻すのだ。明日からすぐ何が変わるものでもないけど。唐突に昔の話。中学生の頃。ゆずがバンドサウンドになって、僕はムカついてた。一生ふたりで、素朴な唄を歌ってて欲しかった。変わっちまう必要なんてないのに。裏切られたような。気持ちを思い出した。俺の気持ちもわかる。でもやっぱり、新しいことしないと。形骸化、自己反復の地獄に落ちるんだよな。楽しくないもんなァ。ギムでやるなら。やめちまったほうがマシだ。変わっていかないと。楽しさを維持できない。また、ゆずの2人は、アルバムを出すと、インタビューでよく「今回は原点回帰しました」とか言っていた。ゴリゴリのバンドサウンドでオーケストラまで入れてんのに。原点回帰はねぇだろ。って高校生の僕は思った。でも、昔みたいに。伊勢佐木町の商店街みたいに。自由にやること。好き勝手に曲をつくる楽しさを思い出すのが、原点回帰なんだよな。って今は思うよ。人間は変わるもんだし。違う人間が原点に帰っても、同じものは生まれないよな。でも原点にしがみつかないと。やってることの本質が、わからなくなるもんな。彼らは変化と原点の大事さをわかってる。たぶんだから、星の数ほど生まれたフォークデュオの中で、現代でも唯一生存してるんだと思うよ。もう、新しい曲はそんなに聴かないけど。活動を続けてる姿をみるだけで励まされるよ。なんの話だっけ。自分の話をしていたんだ。そう、だからえーと、そんな感じです。1079文字

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