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本は、心のお薬
本を読むと楽になる。本の中では人は平気で死ぬし。俺より辛い状況の人たちがウヨウヨでてくる。歴史の本とか読むと特に。良い奴も悪い奴も、みんな簡単に死にまくる。最後には全員死ぬ。1行で1000人単位で死んだりする。道半ばで死ぬ奴、認められず死ぬ奴。罪もないのに死ぬ奴。一度も幸せな思いをせず死ぬ奴。死んだことがニュースにもならない奴。俺1人がちょっと辛くたって、人類の歴史の中で考えれば。苦しみのうちに入らん。俺の寿命が平均より短かろうが、縄文人は皆俺くらいの年に死んでる。などと、思えるから、本を読むと楽になる。あと本は、当然のように、俗世からかけ離れた常識の中に僕を誘ってくれる。生産性とか、共働きとか。そーゆう日常の袋小路から、僕を自由にしてくれる。ロシアの親殺しとか、何回も夕焼けをみる王子様とか、江戸の遊廓とか。そーゆうのが当たり前な世界に、強制的に思考回路丸ごとワープする。今の俺の世界とか、袋小路まるごと。そんなの、狭い狭い世界の、一瞬の出来事の一部だ。って気持ちになる。本を読む時間ないと、そーゆうガス抜きが無くなる。危険だ。疲労と余裕のなさで、瑣末な悩み、ストレスが膨らむ。自我を埋め尽くしてくる。俺ほど苦しんでる奴は居ない、と思うようになる。そんなわけないのにねェ。ちょっと仕事がキツイくらいで。しかしなんで本なんだろう。漫画キングダムでも哀れな兵士が死にまくるし。prime Videoでも色んな世界を覗き見れる。本は文字に自己を反射投影してるからかな。自前の頭でイメージを生産するぶん。自分ゴト率が高い気がする。本を閉じたあとも、入っていた世界の思考回路が一部、頭に残って回転している。僕だけの脳みそで考えるよりよっぽど楽だ。大上司から勧められたミュハエルエンデのモモを読み終えた。効率化の行く末は人間の破滅。1970年代に、僕の生まれる前に、こんな物語が生まれるくらい、人間は病み続けてるんだなぁ。人間らしい時間を取り戻そう。いや、その通りなんだけど。大上司が正に、僕に死ぬほどマルチタスクさせてる元締めなのはどーゆうことだ?小学校5、6年推奨って書いてあるけど。無理じゃないかなァ。ひと昔の小学生は知的だったんだな。俺の息子が来年モモを読んでるとは思えない。いまやってる教科書はごんぎつねだよ。狐に罪はないけどさ。そもそも、時間の節約とか、俺に響いちゃってるテーマ、小学生に通じるのか?どうなんだろう。俺なんか物語のメッセージとか比喩が比喩にならないくらいダイレクトに入ってくるけど。子どもはフワッと、雰囲気重視で物語を取り込んじゃうのかな。そっちのほうが、健全かもしれない。まぁ、少なくとも、大人が読んでも良い本でした。ツマミ読みばっかりで中々、1冊読み通す時間もない。切実に時間が無いし、切実に不安で苛立っている。しかし切実な状況であるからこそ、本の文字が沁みる。というのは、ある。病んでなきゃ、薬も効きようがないのだ。1224文字