見出し画像

あの夏の一幕

ここ最近の不調は自覚していた。
布団に入っても寝付けない夜、ふいに叩き起され浅い眠りを繰り返す夜明け前。そして唐突に告げられる一日の始まり。
頭の中がどろどろとしたマグマのような粘り気を帯び、何の意味もない不安を休むことなく巡らしている。
それでも仕事に行こうと自分を引き上げるために、「大丈夫、大丈夫」と繰り返しながら何とか朝食を胃に流し込んだ。

そろそろ家を出なければ、でも、今ここに生きているだけで精一杯、しんどい、助けて、でも。


そんなギリギリがついに今日、決壊した。


暗い玄関先、ドアノブに手を掛け止まった私の左目から、はらり、と涙が零れ落ちた。
それは真っ直ぐにドアノブを握る私の手の甲に落ちた。
開かない扉。外の光は、入ってこないままだ。

私は、あぁ、無理だ。と悟った。
これ以上は、これ以上踏み留まるのは。

実家の家族に「今から帰ります」と連絡を入れ、お世話になっている心療内科に1本の電話をかけた。

少し休んで、リュックにお泊まり用の荷物を詰める。ぼうっとした頭で、昨晩詰めた弁当のおかずをゆっくりと咀嚼する。
お昼過ぎ、仕事着に上着を羽織ったままの姿で心療内科を訪れる。あぁ、また薬が増えてしまった。

そこから電車で1時間かけて田舎の実家に帰った。

車窓から切り取られた景色、空は皮肉なくらい青くて、山々から入道雲が立ちのぼる。

あぁ、夏だ、と思った。

逃避行の途中に見つけた、
私の知ってる夏がそこにあった。

これからの事なんて、考えてない。
疲弊しきった今の頭じゃ、
近いうちに引き戻される現実を
受け止めきれないだろう。

この身には、
宙ぶらりんの心と、
未だ乾かない涙のあとが残るままだ。

それだけを抱えて
私は現実から目を背け、
この夏に飛び込んだ。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集