小学校に上がって
昭和50年代。小学校に入学をした。
小学生になり、問題行動は加速していく。
相変わらず、お友達とはトラブルばかりだったが、いつも思うのが、
なぜ、そういった行動をしてしまったのか、自分でもわからない。
当然、当時の自分にやめた方がいいよ、ダサっと言ってあげたい。
教員からの指導(叱責)で記憶にあるのはおしゃべり、おせっかいと
言われていた。
当時50代くらいのベテラン女性担任から言われていた。
幼稚園時代の教諭と違って、小学校1、2年の時の50代女性教員。
今思えば、自分のような発達障害児に理解がある教員だった。
頭ごなしに貶されたり、叱られたりはなく、じっくり向き合ってくれた。
他に男児の発達障害児がクラスにいたので、そちらの方に手がかかっていたと記憶している。
その男児は腰掛けができず、授業を聞いてられない男児だった。
母親がしょっちゅう授業の途中でも迎えに来ていた。
生活が困窮していた家庭らしかったが、母親が働くことをやめた、と担任がみんなの前で学活の時に話したのを記憶している。
そういう児童は当時クラスに数名いたもんだが、みんな男児だった。
女児でトラブルメーカーなのは自分くらいだった。
天然記念物的人物だと自負している。
男児との喧嘩、女児とのいざこざ。
平穏な小学校生活は全く送っていなかったようだ。
アレルギー性鼻炎で、鼻水だらけで不潔、汚い、といじめらた。
おしゃべり人間と言われたり、いたずら電話が来たり、
自転車を捨てられたり、ドッジボールなどの球技でつよいボールを体にぶつけられたり、されたことは覚えている。
自分もお友達に嫌がらせをしていたのだろうがやったことは記憶にはない。
都合の悪いことは全く覚えていないのだ。
自分の家には団地で狭いが、大量の本があった。
図鑑に、百科事典に、絵本、子供向けも大人向けも。
他に学研の科学と学習も毎月届いていたので、読書はたくさんした。
問題児ではあったが、勉強は人並み以上にできたので、そちらの方は問題がなかった。
通知表に書かれることは、生活態度や性格に関しての注意で、
学業に関しての指摘もお褒めの言葉も一切なかった。
1、2年の時の担任からの通知表の記述は保護者に向けてかなり気を使った内容と文体だった。
発達障害児の自分に対して、学校が楽しいところ、来るのが嫌にならないように、根気良く接してくれたのだろう。
担任の先生は、今、存命であれば、90歳代後半くらいだと思うが、
お会いしたら子供の頃に多大な迷惑をおかけしたことを、
心の底から感謝をしていることを伝えたい。
どこでどうされているか、知る術もなく、時が過ぎてしまっている。
昔は個人情報保護も何もないので、連絡網、名簿があり教員、生徒の住所や両親名まで記載されていた。片親の人は一人だけ名前が書いてあったり、祖父母に育てられていた子は苗字が違ったり、今思えば考えられないことだ。
小学校1、2年の入学式や、遠足の写真を見ると、かなり抵抗して写りたくないという表情ばかりだ。
どれも笑っていない。下を向いていたり、横を向いていたり、怒っている表情が多い。
人生つまらない、やってられないわって表情ばかり。
家でも学校でも居場所がなかった子供は、7、8歳にして人生達観した感。
家に帰ってきても、兄から暴力を振るわれたり、好きなテレビも見れないから、図書館や児童館や駄菓子屋や本屋に入り浸っていた。
専業主婦で毎日毎日、暇な毒親は子供の存在など無視して、下校時刻などお構いなしに、適当に出かけてしまう。
帰ってきても鍵が閉まっていて、何回、下痢を漏らしたりしたことだろう。
そういった、子供の体調とか、スケジュールなど何も省みることがない、
毒母親だった。
親のせいにしてはいけないが、当然、忘れ物もダントツで多かった。
こういう問題児の子供なのに、低学年の時も何も毒母親からのフォローが
なく、辛い思いばかりだった。
子供の学用品の準備や忘れないようにフォローするのは、親の責任であると思う。
図工や給食や提出物、いつも持ってこない子供だった。
これは子供だけの責任なのだろうか。
中高生ではなく、7、8歳。
それでも自己の責任なのだろうか。
毒母親は教員に忘れ物のフォローについて、指摘されていたと思う。
教員相手にも、うちの子供は馬鹿だから、と反省することなく、言い返していたと容易に想像できる。
この頃の毒母親の年齢は36歳。。。
かなり肥満で高校出てから、就職すらしたことがない人間。
ありえない、今の自分より遥かに若い。
毒母親はいつも寝ているか、商店街で誰かと立ち話しているか、ストレスが溜まるから買い物に行くとかで、頻繁に百貨店で買い物したりしていた。
子供にはお金をくれることもなく、家を留守にして、自分が帰宅してもいないことが多かった。
家には入れないで、お腹をすかして放浪していた自分。
どこのお母さんも綺麗に化粧している人が多いのに、
自分の毒親は肌に悪いとか言って、化粧をせず、常にすっぴんで醜い人間だった。
肥満でノーメーク、美意識の低い毒母親。
暇な専業主婦だから、当然、子供のPTAはいつもやっていたので、
学校には頻繁にきていた。
みっともない、校内で会いたくなかった。
大声で喋り続けたり、とにかくうるさい。
百貨店に行く時はなぜか正装していた。
電車に乗るときは化粧と服装に気をつけるらしい。
毒母親は当時子供だった自分を認めることはなかった。
発達障害という認知もない昭和時代なので、ただただ問題児、しかも女児。
世の中、自分より酷い素行の女児はいなかったと、自負している。
これは客観的に見てである。
日本中どこを探しても、自分のような子供、親や教員からの扱い、
ここまで地に落ちている人間
いるだろうか。
同じような人物がいたら、出会ってみたいものだ。