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『後漢書』東夷伝「倭」のすべての記述を調べてみた。

はじめに

『後漢書』東夷伝は、5世紀ごろ書かれた書物です。
倭国に関する記述は、巻85「東夷列伝」内にあります。
最初に現代語訳、そのあと原文及び書き下し文を示します。

現代語訳

倭は朝鮮の東南の大海の中にあり、山野の中に住んでいて、だいたい百余りの国がある。

前漢の武帝が朝鮮を滅ぼしてから、交通が開けた国が三十国あまりある。

それらの国にはすべて王がいて、代々血筋を残してきている。

大倭王が邪馬臺國にいる。

楽浪郡の境界より、邪馬臺國まで一万二千里ある。

倭の西北の端にある拘邪韓國までは七千里である。

その地はおおよそ、会稽郡の東冶県の東に位置している。

朱崖、儋耳に近い。

そのため、その法や風俗の多くが同じものである。

土壌は、稲、紵麻、養蚕のための桑の育成に適しており、糸を紡ぎ布を織る術を心得ており、絹布を生産している。

白珠、青玉を産出し、山から丹が取れる。

気候は温暖で、冬でも夏でも野菜が採れる。

牛や馬、虎、豹、羊、カササギはいない。

矛や楯、木の弓、竹の弓で武装しており、動物の骨を遣って鏃にしている。

大人の男は、皆顔や体に入れ墨をしている。

入れ墨の左右上下の位置や大きさで身分の違いを表している。

男性は皆横に長い布を巻いて結んでいる。

女性は、髪を伸ばしてまげを結い、単衣に作った布に頭を通して着ている。

また、中国で白粉を使うように、丹朱を使って体を飾る。

城柵があり、屋敷もあって、父母と兄弟は別々に住んでいる。

会同でも男女で区別はしない。

飲食は手を使い、籩豆を用いている。

風俗としてみな裸足である。

身分の高い人の前では蹲踞して敬意を表す。

そこの人の性質は酒を好む。

年寄りが多く、百歳以上になるものがとても沢山いる。

国には女性が多く、身分の高い人は夫人を四、五人持ち、それ以外でも、二人、あるいは三人の夫人を持つ。

女性は浮気をせず、嫉妬もしない。

また、盗みをする者はなく、訴訟で争うことも少ない。

法を犯した者は、その妻子を没収して奴隷とし、罪が重い者は、一族を滅ぼす。

死人が出ると、十日余り喪に服する。

家族は悲しんで泣き叫び、酒を飲んだり食事を取ったりしない。

友人は歌い踊り音楽を奏でる。

骨を焼いて卜筮を行い、吉凶を決める。

旅に出たりあるいは旅から帰る時や、海を渡る時は、髪に櫛を入れず体も洗わず、肉を食べたり婦人を近づけたりしない者を一人供にする。これを持衰という。

もし旅が順調だった場合は、財物を与えて賞し、疾病のような害があれば、持衰が謹まなかったせいだとして、すぐに全員でこれを殺す。

建武中元二年(西暦57年)、倭奴國が貢ぎ物を持って朝貢してきた。

使者は自分のことを大夫だと言った。

倭奴國は倭國の最南端にある。

光武帝は印綬を授けた。

安帝永初元年(西暦107年)、倭國の王たち、帥升らが奴隷を百六十人献上して、皇帝にお目見えしたいと願ってきた。

桓帝(西暦146年〜167年在位)と靈帝(西暦168年〜189年在位)が在位の間、倭國は大変な内乱状態で、互いに攻め合い、長い間、倭國全体を統治する王がいなかった。

卑彌呼という女性がいて、年長になっても結婚しないでいた。

鬼神の道に詳しく、あやしげな術で民衆をうまく導いていた。

この女性を諸国がこぞって王に立てた。

侍女やはしためが千人いて、直接顔を合わせた者はごく少なかった。

男性がただ一人で飲食の世話や、奏上や指示の取り次ぎをしていた。

日常の住居や、宮殿、楼観、城柵には兵がいて守備していた。

法は極めて厳しい。

女王国より東へ海を千里余り渡ると、拘奴國へ着く。

みな倭人であるが、女王国には属していない。

女王国より南へ四千里余り行くと侏儒国に着く。

そこの人は身長が三、四尺くらいしかない。

侏儒国より船で東南に一年の距離に裸國、黑齒國がある。

交通のあるところはここまでである。

会稽郡の東の海上にある地に東鯷人がいて、二十国余りに分かれている。

また夷洲(台湾)及び澶洲がある。

伝によると、秦の始皇帝が、方士の徐福を派遣して、子供の男女數千人を引き連れて、海に出て蓬莱の神仙を求めさせたが、失敗した。

徐福は失敗により誅殺されることを畏れて、とうとうこの地に留まることとした。

以降、代々住み続けて戸数が数万戸にまでなった。

その人々は会稽郡に来て商売をすることがある。

会稽郡東冶県の人で、海に出て強風に吹かれて流されて、澶洲に流れ着く者がいる。

その場所はあまりにも遠く、行き来は不可能である。

原文と書き下し文

倭在韓東南大海中、依山㠀爲居、凡百餘國、
倭は韓の東南大海の中に在り。山島に依りて居を為す。凡そ百余国。

自武帝滅朝鮮、使驛通於漢者、三十許國、
武帝、朝鮮を滅ぼしてより、使訳漢に通ずる者、三十許国なり。

國皆稱王、丗丗傳統、其大倭王居邪馬臺國(案令邪摩惟音之訛也)、
国、皆王を称し、世世統を伝う。その大倭王は邪馬臺国に居る。

樂浪郡徼、去其國萬二千里、
楽浪郡の徼は、その国を去る万二千里、

去其西北界拘邪韓國七千餘里、
その西北界、拘邪韓国を去ること七千余里。

其地、大較在會稽東冶之東、
その地、大較会稽の東冶の東にあり、

與朱崖、儋耳相近、故其法俗多同、
朱崖・儋耳と相近し。故にその法俗、多く同じ。

土冝禾稻、麻紵、蠶桑、知織績爲縑布、
土は、禾稻、麻紵、蠶桑に宜しく、織績を知り、縑布と爲す。

出白珠、青玉、其山有丹土、
白珠、青玉を出し、其の山には丹土あり、

氣温腝、冬夏生菜茹、無牛、馬、虎、豹、羊、鵲(鵲或作雞)、
氣温腝にして、冬夏菜茹を生ず、牛、馬、虎、豹、羊、鵲無し、

其兵有矛、楯、木弓、竹矢、或以骨鏃、
其の兵、矛、楯、木弓、竹矢あり、或いは骨を以て鏃とす、

男子皆黥面文身、以其文左右大小別尊卑之差、
男子は皆黥面文身す。其の文の左右大小を以て、尊卑の差を別かつ、

其男衣皆横幅、結束相連、
其の男衣は皆橫幅、結束して相連ね、

女人被髪屈紒、衣如單被、貫頭而著之、
女人は被髮屈紒し、衣は單被の如く、頭を貫き而して之を著し、

並以丹朱坋身(說文曰坋塵也音蒲頓反)、如中國之用粉也、
並びに丹朱を以て身を坋すること、中國の粉を用ゐるが如き也。

有城柵屋室、父母兄弟異處、唯會同男女無別、
城柵、屋室を有し、父母兄弟は處を異にす、唯會同に男女の別無し、

飲食以手、而用籩豆、
飲食は手を以てし、而して籩豆を用ゐる、

俗皆徒跣、以蹲踞爲恭敬、
俗皆徒跣。蹲踞を以て恭敬と爲す。

人性嗜酒、
人性酒を嗜む、

多壽考、至百餘歳者甚衆、
壽考多く、百餘歳に至る者、甚だ衆し。

國多女子、大人皆有四五妻、
国には女子多く、大人は皆四、五妻あり、

其餘或兩或三、
その余もあるいは両、あるいは三。

女人不淫不妒、
女人淫せず、妒せず。

又俗不盗竊、少爭訟、
又俗は盜竊せず、爭訟少なし、

犯法者没其妻子、重者滅其門族、
法を犯す者は、其の妻子を沒し、重い者は其の門族を滅す、

其死停喪十餘日、家人哭泣、不進酒食、
其の死、喪に停まること十餘日、家人は哭泣し、酒食を進めず、

而等類就歌舞爲樂、
而して等類は歌舞に就きて樂を爲す、

灼骨以卜、用決吉凶、
骨を灼いて以て卜とし、吉凶を決するに用ゐる、

行來度海、令一人不櫛沐、不食肉、不近婦人、名曰持衰、
行來、度海には、一人をして櫛沐させず、肉を食させず、婦人を近づけさせず。名を持衰と言ふ。

若在塗吉利、則雇以財物、
若し、塗に在りて吉利なれば、則ち財物を以て雇ひ、

如病疾遭害、以爲持衰不謹、便共殺之、
病疾の如き害に遭へば、以て持衰が謹まずと爲し、便ち共に之を殺す。

建武中元二年、倭奴國奉貢朝賀、使人自稱大夫、倭國之極南界也、光武賜以印綬、
建武中元二年、倭奴國、貢を奉り朝賀す、使人自らを大夫たいふと稱す。倭國の極南界也、光武、賜うに印綬を以てす、

安帝永初元年、倭國王帥升等獻生口百六十人、願請見、
安帝の永初元年、倭國王帥升等、生口百六十人を獻じ、見ゆるを願ひ請ふ、

桓靈閒、倭國大亂、更相攻伐、歴年無主、
桓靈の閒、倭國大いに亂れ、更に相攻伐し、歴年主なし、

有一女子名曰卑彌呼、年長不嫁、事鬼神道、能以妖惑衆、
一女子あり、名は卑彌呼ひみか、年長ずるも嫁さず、鬼神の道を事とし、能く妖を以て衆を惑わす、

於是共立爲王、
是れにおいて共に立て王と爲す、

侍婢千人、少有見者、
侍婢千人、見ゆる者有るが少なし、

唯有男子一人給飲食、傳辭語、
唯男子一人有りて、飲食を給し、辭語を傳ふ、

居處宮室、樓觀城柵、皆持兵守衞、
居處、宮室、樓觀、城柵、皆兵を持して守衛す、

法俗嚴峻、
法俗は嚴峻なり、

自女王國東度海千餘里、至拘奴國、
雖皆倭種、而不屬女王、
女王國より東へ海を度ること千餘里で、拘奴國へ至る、
皆倭種と雖も、而して女王に屬さず、

自女王國南四千餘里、至朱儒國、
人長三四尺、
女王國より南へ四千餘里で、朱儒國へ至る、
人長、三四尺なり、

自朱儒東南行舩一年、至裸國、黒齒國、
使驛所傳、極於此矣、

朱儒より東南へ行船一年で裸國、黑齒國へ至る、
使驛の傳ふる所、此において極まる、

會稽海外有東鯷人(鯷音達奚反)、分爲二十餘國、
會稽の海外に東鯷人あり、分かれて二十餘國を爲す。

又有夷洲及澶洲、
また夷洲及び澶洲あり。

傳言、秦始皇、遣方士徐福、將童男女數千人入海(事見史記)、求蓬萊神仙不得、
傳言ふ、秦の始皇、方士徐福を遣わし、童男女數千人を將ゐて海に入り、蓬萊の神仙を求むれども得ず。

徐福畏誅不敢還、遂止此洲、
徐福、誅を畏れて敢へて還らず、遂に此の洲に止まる。

丗丗相承、有數萬家、人民時至會稽市、
丗丗相い承け、數萬家あり、人民、時に會稽に至り市す。

會稽東冶縣人、有入海行遭風、流移至澶洲者、
會稽東冶の縣人、海に入りて行くに風に遭い、流移して澶洲に至る者あり。

所在絕遠、不可往來、
所在絶遠にして、往來すべからず。

(注)
この文章は必ずしも正しいとは限りません。重要な情報は確認するようにしてください。

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前田拓
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