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Photo by
okanokura
お寺のお賽銭
チャリン!カランカラン♪
ペコッペコッ! パンパン!(住所、名前、願い事1つ)
上記は元々神社の作法であり、室町時代頃から仏閣でも似たような作法が取り入れられたそうです。
神社の場合、神への感謝としてのお供え物という意味合いがあり、神社仏閣と纏められていた日本においては寺院にもそれが伝わったそうです。
ここで、寺院における賽銭箱についてひとつ解釈をしてみます。
釈迦の時代、釈迦や弟子たちは出家の身であったため、在家の人から食べ物や財を受けていました(財施)。鉢を持ち、乞いて回る活動を「托鉢」と呼んだりもします。その代わりに、釈迦たち僧は彼らに仏教の教えを説いた(法施)のです。
つまり、ギブアンドテイクの関係。
日本のお寺のお賽銭は神社同様「仏への感謝」となっておりますが、原始仏教の財施・法施の関係をみると「お賽銭と引き換えにお坊さんに教えを説いてもらえる」という関係とも解釈できますな。
おお、お賽銭が仏教らしく、一気に論理的かつ合理的になってきたゾ
このシステムなら全然もう僕の場合、1回に300円くらい入れて寺院通い出来ますな(笑)
「仏教で説かれている因果応報の法則と、偶然性の否定」についてでも、是非とも仏教の専門家である僧の方々に聞いてみようかしら。