小説「童女トン」1
この小説は母トンの墓標です。「死ぬ準備」「芙美湖葬送」それにこの「童女トン」が加わって、同時並行的に書き進められます。昭和を生きた自伝で小さな昭和史で家庭の物語です。読んでください、ね。
年明け早々87歳になります。
前立腺がんをはじめ幾つかの病気を抱えているから残された時間は少ない。だから死ぬ前に「死ぬ準備」、「芙美湖葬送」、「童女トン」の三本は最低限纏めたい。どれも小説という形で書いた自伝で、または家族の歴史で、墓標です。それぞれが一冊の単行本の量になる。はたして誰かに読んで貰えるかどうか。
一人でもいたらその人の記憶の中の私たちは蘇生できる。出来ることなら出版したい。もっと多くの人に読んでもらいたい。私たちはこの地球の何処かでそれぞれの時間を生きた。場所も時間も違うが、こうやって私がそれを纏めている。もし誰かの目に止まったら、読んでもらえたら望外の幸せだ。
大した人生ではなかったがそれぞれ精一杯いきた。
私は、女系家族中のたった一人の男である。そのせいか気弱で臆病でその割には向こう見ずなところもあって失敗ばかりした。小さな会社だけど起業した。資本金一千万円の株式会社である。神田に小さな事務所を構え従業員もいた。
それで20年食った。しかしバブル崩壊後の30年不況で会社を畳んだ。その為に取引先や金融機関や政府の、と名乗る信用保証協会の整理も行った。法的に強制されたのである。非情だった。無担保無保証など真っ赤な大ウソ。土壇場まで追いつめて人的担保を取った。娘婿のサラーマンからである。千葉県だ。逐次話を進めよう。
結局は身内への借金だけが残った。政府のやることは所詮こんなもんだ。弱い者いじめだ。今も変わらない。実態はハゲタカである。その話も挟もう。
満85歳。台湾生まれ台湾育ち。さいごの軍国少年世代。戦後引き揚げの日本国籍者です。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び頑張った。その日本も世界の底辺になりつつある。まだ墜ちるだろう。再再興のヒントは?老人の知恵と警告と提言を・・・どぞ。