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「可哀想」と思う気持ちが共依存を生む?感情に敏感なエンパスさんへのメッセージ

こんにちは、MUERAです。

人の感情に敏感なエンパスさんにとって、
「この人、可哀想だな……」と思うことは、
日常的に割とあることかもしれません。

特に家族や親しい人に対して、
こういった思いが強くなるほど、
相手のために何かをしてあげたくなるかもしれません。

でも、その「可哀想」という感情が、
知らないうちに共依存の入り口に
なっているとしたらどうでしょう・・?

今回は、「可哀想」と思う感情との向き合い方、
そして互いに自由な関係性を築くためのヒント
お届けしますね。


「可哀想」という感情の裏側にあるもの

「可哀想」と思う気持ちは、
優しさや共感から生まれるものです。

それ自体は悪いことではありません。

でも、その感情が強くなりすぎると、
次のような思い込みにつながることがあります。

  • 「私が助けてあげなきゃ、この人はもっと不幸になるかもしれない」

  • 「この人を見捨てるなんて、私にはできない」

  • 「私だけはこの人を理解してあげなきゃ・・」

こうした思い込みは、
知らず知らずのうちに「相手の人生の責任を背負う」
という形になり、
共依存の関係へと発展することがあります。


「可哀想」と思われる側の心理

「可哀想」と思われている人も、
実は無意識にその感情を感じ取り、
犠牲者の立場に自分を置いてしまうことがあります。

例えば

  • 「自分は弱い存在だから、周りに支えてもらうのが当然だ」と感じる。

  • 「助けてもらうために、弱いままでいる方がラクだ」と思い込む。

  • 「この人は自分を理解してくれる」と甘えたり依存したくなる。

こうした関係性は、
相手を長期的に成長させることを妨げ、
自分自身も消耗する原因になります。


「可哀想」の感情を断ち切るための考え方

・「相手の力を信じる」という視点を持つ

可哀想という感情が湧いたとき、
「この人には、自分の力で変わる力がある」と
信じることを意識してみましょう。

相手の力を信じることは、「見捨てる」ことではありません。
それどころか、
相手に成長の機会を与えることにつながります。


・「私が助けなければいけない」という思いを手放す

「助けたい」と思う気持ちは優しさの表れですが、
その役割を自分が全て引き受ける必要はありません。
次のように考えてみましょう。

  • 「私がすべてを解決しなくても、
    相手には他の支えや解決のヒントを与えるにとどめよう」

  • 「私は相手の力を信じて、
    適度な距離から見守ることでサポートしよう」


・「自分の感情」を冷静に観察する

「可哀想」という感情が湧いたとき、
その感情を一歩引いて眺めてみましょう。

たとえば、次のような質問を自分に投げかけてみます。

  • 「この感情の裏には、どんな思い込みがあるんだろう?」

  • 「私は本当に相手を助けたいのか、
    それとも助けなければならないと思い込んでいるのか?」

こうした自己観察は、感情に振り回されるのを防ぎます。


・「自分自身を幸せにすること」に集中する

不健全な関係性に陥らないためには、
自分の人生を優先する視点が欠かせません。

相手の状況に引きずられるのではなく、
「自分がどうしたいのか」「自分をどう幸せにするか」に
意識を向けましょう。

自分が幸せになることで、
相手にも良い影響を与えることができます。


エンパスさんへ

「可哀想」と思う気持ちは、
あなたの優しさや共感力の表れです。

それを否定する必要はありません。

ただ、その感情が行き過ぎて、
自分自身の自由を犠牲にしたり、
相手の成長を妨げることがないように
気をつけておきましょう。

「相手を助けること」ではなく、
「相手の力を信じ、自由な関係性を築くこと」

これこそが、長期的にお互いを支える最善の方法です。

あなたの優しさが、健やかな関係性の中で輝きますように🌱

MUERA


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