「好き」を言語化する技術 を読んだので感想を言語化するよ!

“すごく感動したのに、「おもしろかった」しか言葉がでてこない……!“

 この帯がぱっと目を引いたのは、まさに今私が直面している問題だったからだ。感想が出てこない、面白かった以外の感情を言葉にできない。
 ここ最近、私は「新しいコンテンツに積極的にふれる」ということを意識的にやっている。ドラマ、アニメ、本、漫画と媒体を問わず色々なものを摂取してみる。流行りものは素直に、一度さわりにいってみる。逆張りオタクを卒業するために!
 しかしこのところ何を見ても読んでも、「面白かった!」しか言えない自分の語彙力のなさが嫌になってきていた。サスペンスものを見た時と恋愛ものを見た時の感想がどちらも「面白かった!」なのはどうなんだ私。

 そんな時にふと出会ったのがこの本だったのだ。

 書店では平積みされており、Amazonでのランキングにも入っている人気本らしい。まず最初に驚いたのが、今私が直面している悩みをぴたりと言いあてたような帯。そしてこれが人気になっているということは、他にもたくさんの人が自分の「好き」を表現できずに悩んでいるのだ、ということに驚いて、それから少しホッとした。この悩みは私だけのものじゃない、みんな悩んでいるのだと。

SNSと「好き」


 読み進めていくうち、SNS時代の危うさにひやりとしたものを感じた。
 あやふやとした輪郭のない感情を「泣ける」や「考えさせられる」のようなありふれたワード(クリシェというそうだ)で表してしまうことで、そこで思考が止まってしまうことがあるというのだ。私にも覚えがある。というか覚えがありすぎる。
 その時感じた想いはたしかに自分だけのものだったはずなのに、クリシェで表してしまうことで十把一絡げの石ころにでもなってしまったように感じて、そこで感想を表そうとするのをやめてしまったことは一度や二度ではない。
 思考を止めて、簡単でありふれた言葉に逃げてしまうのは、自分が自分であることを自ら放棄しているのと変わらないのではないだろうか。そしてこれは私見だが、そういった広く響きやすいパワーワードというのは、得てして切れ味が鋭いように思う。強い言葉を使うことに慣れてしまうことで、偏った考えになりやすいのではないか?道を逸れた時に気付けないのではないか?
 そんな警鐘を鳴らされているように感じた。

「好き」の言語化がもたらすもの

 さて少し物騒な方向に話がそれてしまったが、本書は「好き」を言語化することでどんなことが成せるのかにもたくさんふれてくれている。その中のひとつに「好き」を保存しておける、というものがある。
 自分がその時感じた「好き」を言語化して残しておくことで、いつかその「好き」が揺らいだとしても、当時「好きだった」という事実を認めてあげられるというのだ。
 人間の感情や感性は、自分の状況やまわりの環境によってたやすくうつり変わるものだ。熱狂するほど好きだったものでも、歳を重ねていくにつれて何か違う、となっていくこともある。でもそれでいい、と肯定してくれている。
 今その瞬間の「好き」を保存しておくことで、たしかにその時私はそれが好きだった、と過去の自分を認めてあげられる。
 「好き」が揺らいだとき、ともすると「あの頃はおかしくなってただけ、別にそんな好きじゃなかったし」と過去の好きを否定してしまうことがある。まわりまわって、過去の自分をさえ「あんなものを好きだったなんて」と否定してしまうことさえある。
 けれど、当時たしかにそれが好きだった、というのは間違いないのだ。それも自分を作るものなのだから。言語化し、保存することで過去の「好き」と、それを「好きだった自分」を肯定してあげられるのだ。

 人間はきっと、経験したものでしか自分を作れない。それなら私は、自分の「好き」で「わたし」を作り上げたい。これが好きだって、自信を持って言いたい。

 私の少ない語彙力ではあらわせないくらい、魅力にあふれた本だった。

“すごく感動したのに、「おもしろかった」しか言葉がでてこない……!“

 この帯に少しでも惹きつけられた人はぜひ読んでみてほしい。きっと何か感じ入るものがあるはずだから。


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