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オルカパブリッシング
2019年5月4日 06:56
前回の連載でわれわれは、エマニュエル・レヴィナスの名を通して終末論的思考のある形態を知ることになると予告したのであった。今回集中的に扱うのは、すっかり人口に膾炙した「他者の思想」のさらに先に待ち受ける次元である。レヴィナスはこのメシア的時間の境地をまさに、「私が私の子供である」と言明しているのだ。さて、手短に本稿の要旨をまとめてみよう。その主著『全体性と無限』は、他者の優位を基調とする倫理学を
2019年5月4日 06:55
時間は永遠のひとつのイメージである。だが、同時に永遠の代用品(Ersatz)でもある。シモーヌ・ヴェイユ 1.終末論の射程平生、千年も先のことを考える人間など果たしているものだろうか。個人や社会、国家の将来を案じても、われわれの貧困な想像力が辛うじて及びうるのといっても、せいぜい百年が関の山であろう。千年という―ましてそれ以上の単位の年月がその輪郭をぬっとあらわし、その質感をこれでもかと感