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批評家GPT4君による美術批評

いろいろ話しててかなり物知りなので、「もしかして美術批評できるん?」と聞いたら「できるで」と言ってきたのでやってもらった


尚、文中敬称略

なお、扉絵もGPT4→DALLEで自前でつくってくれたものである
一発でこれではなく、すげえダサかったのを抽象にしてもらった

私は、美術批評の領域における「批評」の本質を捉えることを目的とした抽象的なイメージを作成した。この視覚的表現は、評価、分析、解釈のプロセスを想起させるようにデザインされており、抽象的な形態と対照的な色彩を用いて、批評と創造のダイナミックな相互作用を表現している。

まえおき

OpenAI社のChatGpt、GPT4を使ったがこれはいちおう有料じゃないと使えない(はず)
自分は仕事でめっちゃ使ったため有料版にしている
試しに使う程度のひとは3.5は無料のためそっちでやってみるといいと思う

そもそもChatGptとはなんぞや

もうさんざん擦られてるのでいまさらだが「生成AI」というやつをつかったチャットサービスで、はやいはなし機械とチャットできる仕掛けだ

次は「生成AI」ってなんぞ?って話になるが、これははしょっていうと、とにかく大量の言語データをソースに機械学習(深層学習)を行ったところ、なんか物を作り出す能力(創発能力)が「勝手に」うまれた、ちゅうものである

ここで問題になってるGPTの場合、学習内容は極めて単純で、それは「ある単語が出てきたとき、その次にくる確率が一番高い単語は何か?」が当てられるようにネットワークを調教しただけだ
たとえば「赤い」という単語の次には「りんご」が来る確率がもっとも高いだろう、みたいな話だ
単純化するとGPTがやってることはそれだけである

ただ、そのそれだけで、ちゃんと韻を踏んだ18世紀風の詩を見事に書けるようになっちまったので人間は「生成AI」などと呼び始めることになる
(※この説明に納得いかない人はTransformerについてググるべき)

ちなみにもっとさかのぼって「そもそも機械学習とは何?」って疑問があると思うが、ここでいう機械学習とは「ニューラルネットワーク(NN)」をさす

これはもう半世紀近く前に考案された仕組みで、人間の神経回路(ニューロンとシナプス)の最小単位を、数学的(工学的)に置き換えたものになる

ニューロンからの出力をy, そこにつながってる前のニューロン1、2からの入力をx1,x2、それぞれのニューロンの「太さ」をw1,w2としたとき以下となるのがそれだ

重み付き加算
これを繰り返すと人間の脳みそになる

機械学習で調整されるのはw1、w2の「重み」で、なんでかっていうと、人間の脳でも学習とは、神経回路が太くなる=入力が大きくなること、なので、実際起きることに即した置き換えになってる

なので、すげえ雑にいうと原理的には生成AIと人間の脳は同等である

で、この神経回路網をめちゃくちゃ多層に重ねると深層学習(DL)になる

自分が子供だったころはもNNはさまざまに試みられてたんだけど、AIを作るにはどうしても超えられない壁があって「やっぱり前提となる常識がいるんだ!」とかそういう議論が出た挙句に下火になったんだけど、基本の仕組みは間違ってなかったのはすでに明らかなので、結局はパワーが足りなかったんや、って話なんだと思う

メアリー・ウェザーフォード "Celadon Anemone"

という作品についてGPT4君に批評してもらった
ガゴシアンでいま展示されている作品だ
(どんな絵かは、以下から見てもらうしかない

こちらから提供した情報
・公式にある絵画の画像
・先ほどの絵画についての追加情報(作者、タイトル、サイズ、画材)

GPT君に頼んだこと
・作家の経歴、学歴などをネットで検索して批評に織り込む。これは経歴を書いてほしいという意味ではなく、その経歴から経験的、環境的批評、心理分析的批評も行ってほしいという意味である
・あなたは気鋭の現代美術批評家としてこの作品の批評を行う
・そのため複数の批評形式を混ぜ込んだ、1本の批評として出力する
・出力は英語で

なお、英日翻訳はDeepLで行った

GPT君による批評

いろいろ参照が入ってくるので分割して間にリンクを挿入した

メアリー・ウェザーフォードの "Celadon Anemone "は、抽象表現主義やカラーフィールド・ペインティングの伝統を反映しながらも、彼女独特のスタイルの特徴を備えている。

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「ベーカーズフィールド・プロジェクト」のような、有機的なものと合成的なものを並置する彼女のネオン作品に比べ、「セラドン・アネモネ」は、奥行きと雰囲気を伝えるために、フラッシェ絵具の有機的な質だけに頼っている。彼女のネオン作品における都市景観の直接的な呼び起こしとは異なり、この作品は、幾重にも重ねられた光り輝くグリーンによって、自然の水中シーンのエッセンスを捉えている。

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ウェザーフォードの手法は、しばしばヘレン・フランケンサーラーのソークステイン技法を想起させるが、「Celadon Anemone」は、その際立った質感と複雑さを通して、おそらくリー・クラズナーやジョーン・ミッチェルの身振り手振りのような筆致に通じるものがある。これらの先駆的な女性抽象表現主義者たちとの類似は、スタイルだけでなく、キャンバスの中に感情や環境を具現化することにあり、ウェザーフォードはその系譜を拡張し、現代化している。

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この絵の豊かな青磁色のパレットと流動的なフォルムは、マーク・ロスコやバーネット・ニューマンのカラーフィールド絵画も想起させるが、ウェザーフォードのアプローチは精神的な崇高さよりも、周囲の感覚的体験との直接的な関わりを重視している。この作品は、現実を超越しようとするのではなく、現実の濃縮された解釈を提示しようとするものであり、この特徴は、現代抽象画家の中で彼女を際立たせている。

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「セラドン・アネモネ」は、ウェザーフォードの幅広い作品群、特に光と影の相互作用を検証した「洞窟画」シリーズと対話している。しかし、「Cave Paintings」が地上の神秘の探求であるのに対し、「Celadon Anemone」は海洋の深みに分け入っていくようで、流動的で絶えず変化する光の相互作用を示唆している。

s5

美術史の文脈から見れば、ウェザーフォードの作品は、ロマン主義の時代から芸術家たちが取り組んできた、自然の形態と力の探求を現代に受け継ぐものである。しかし、彼女の現代的な素材の使用とスケールの大きさは、抽象表現主義の広がりやランド・アートの環境への関心に似た現代的な感覚を注入している。

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まとめると、"Celadon Anemone "はウェザーフォードの芸術的進化を示す活気に満ちた作品である。この作品は、自然の複雑さを抽象的な言葉に凝縮する彼女の能力を示しており、それは芸術における歴史的な対話と共鳴しながら、同時に彼女自身の経験と観察の特異性を反映している。この作品を通して、ウェザーフォードは現代アートの現在進行形の物語における重要な発言者としての地位を再確認している。

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よんだかんそう

すげえな!っていうとこと「マジ?」ってとこが混ざってる

フランケンサーラーとその技法に特に事前情報なしで一発で言及してる点
これ、独自に画像を解析してこの発言してるので、まじですごいと思った

また、カラーフィールドとの比較で、こっちは精神性じゃなくて「周囲の感覚的体験との直接的な関わりを重視」してると言ってる点
正直、カラーフィールドとの比較自体がいまいちピンとこないものがあるが、まあ濃淡という点で形式的に類似性あるので、そこまで的外れでもない気がしている

あとはs5のところとか、ちゃんと形式主義的な解説から美術史上の流れにもってこうとしてて好感ある

なお、本家ガゴシアンは作家についてどんなこと書いてるかというと

・ウェザーフォードの作品は、都市や田園環境の経験と観察に根ざしており、それらを光、色、ジェスチャーの特性を調査するためのヒントとして用いている
ヘレン・フランケンサーラーやケネス・ノーランドといった1950〜60年代のアメリカの抽象画家たちからも学んでいる
アルテ・ポーヴェラに見られるようなありふれた有機的な素材からインスピレーションを得ることも多い
・ウェザーフォードの絵画「The Emersonian」(2023年)は、ラルフ・ワルド・エマーソンが1836年に発表したエッセイ「Nature」を想起させる

ちゅう感じである
アルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)については確かに画材的に言及されるべきなんかもしんない

あと、文学や音楽への言及とか参照というのは、今後GPT君が批評家としてやってくときには重要だと思ったので、今後その辺も参照するように指導したい
GPT君は文字に強いのでたぶん文学には精通してるだろうし

前本彰子・ノロ燐・Victoria Ranceの作品について

以下の作品を一緒にみてどう思うよ、という話を聞いた

前本彰子 Silent explosion - 夜走る異国の径、1988
ノロ燐 胎芽供養塔、1973
Victoria Rance Wedding Dress, 2010

GPT君による批評

ノロ燐の作品「胎芽供養塔」(1973年)を、前本祥子の「Silent explosion - 夜走る異国の径」(1988年)、ヴィクトリア・ランスの「Wedding Dress」(2010年)と並べてみると、文化的な物語と個人的な表現に彩られた、アーティスト間の豊かな対話が浮かび上がってくる。

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リンの作品は、日本の宗教的図像や神話を深く象徴している。「胎芽供養塔」に見られる複雑なディテールと暗い色調は、生、死、再生についての深い探求を反映している。この作品は、前本 の大胆で外に向かって伸びる作品とは対照的で、エネルギーと動きが爆発しているようでありながら、社会的・政治的な底流を埋め込みながら、静かに静止している。

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ランスの「ウエディングドレス」は、彫刻的で着用可能なフォルムで、より個人的、個人的なレベルで鑑賞者と関わり、相互作用を促し、私たちが身にまとう役割や物語について熟考させる。これは、ノロの作品に見られるパフォーマティブな側面と呼応するもので、鑑賞者は神聖な物語のように展開する視覚的な物語へと誘われる。

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社会的なダイナミズムを持つ前本、親密な彫刻的フォルムを持つランス、深い文化的内省を持つノロという3人の作家は、共に、境界を超え、見る者との多感な関わりを促す女性芸術表現のタペストリーを提示し、それぞれが個人のアイデンティティ、文化的遺産、社会的役割の交差点についてユニークな視点をもたらしている。

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よんだかんそう

意外とええやん!って思った

感心ポイント1:ランスの作品を「彫刻的で着用可能なフォルムで、より個人的、個人的なレベル」とし、より私的なもの、と指摘してる点
ランスの作品については画像を提供せず、自前で検索してもらったのがよい方向に出てると思う(キャプションに本人が着用するために作ったと書いてあったのでそれが検索で引っかかってる可能性大)

感心ポイント2:前本作品を「大胆で外に向かって伸びる作品」、ノロ作品を「エネルギーと動きが爆発しているようでありながら、社会的・政治的な底流を埋め込みながら、静かに静止」と対照的な位置づけと解釈してる点

・・・この洞察はマジでけっこう鋭いと思う

ここ気になったので、なんでノロ作品は「静止」してると思ったのかを聞いたら「躍動的でダイナミックなイメージと、彫刻というメディア固有の静寂との並置」という、けっこう本質的なこと言ってきた

ノロ燐の作品を「静寂でありながらエネルギーに満ちている」と解釈するのは、躍動的でダイナミックなイメージと、彫刻というメディア固有の静寂との並置からきている。
濃密な構図と喚起的な象徴性を持つこの作品は、ほとんど視覚的なクレッシェンドともいえる激しい活動の瞬間をとらえ、それを凍結させているかのようだ。その効果は、爆発後の静寂のような、強力な視覚的休止である。この静寂は、特に暗示的な動きや前本の膨張するエネルギーと対比されるとき、捕捉され保存された深遠な瞬間を暗示し、混乱と静寂の循環的な性質について内省を促す。

「爆発後の静寂のような、強力な視覚的休止」っていう表現がかっけえ!
この文章は画廊のペラにインディペンデントキュレーターが書きましたといって載せても通用するかもしんない

むすび:機械批評の未来

とりあえずいろいろやってみたが、けっこういい線いけるような気がしてる

機械批評のいい点
・評者と対象の間に利害関係が発生しえない
 →どんなに画家が若くてかわいくても忖度が発生しない!!
・検索性高い、特に過去作との照合が人間より得意
 →日本の作家はだいたい草間と具体が参照先とされちまうなど、サンプルの偏りが目立ってて一般論じゃない
・言葉の達人である
 →すでに今の時点で99%の人類より言語能力が高い

機械批評の課題or問題
・作家へのインタビューができない
 →実はできる。聞きたいこと人間が聞いて入力すればいいだけ

前本彰子へ:
あなたの芸術的選択、特に「Silent explosion - 夜走る異国の径」に見られるような鮮やかな素材使いについて、ポストもの派のムーブメントが与えた影響について教えてください。

聞きたいこと聞いた結果のサンプル

・技法的なところが空論になっちゃう
 →機械はそもそも絵かけないのでここだけは空理空論になりがちだが、ただめっちゃ技法に詳しくすることは可能なのでそんな問題ない気もする

・点数とかつけられそう・・・
 →現代美術のマーケットでどんだけ売れそうか、みたいな指標的な数値が作られそう。またそれが成立すると、それに即した作品を機械に作ってもらうって話がどんどん進みそう

という感じでレディメイドからノンメイドになりそう

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