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【100分de名著】精神現象学 ヘーゲル

お疲れ様!
今日は100分de名著で5月に取り上げられていた「精神現象学」ヘーゲルについて。めっちゃ難しそう〜
ドイツの哲学者。フランス革命後の揺れ動くヨーロッパの中で活躍した哲学者だよ。

価値観の揺らぐ世の中で、どうすれば人々が良い共同体を作っていけるのか、その中で自由を得られるのか、を考えた人です。

解説者は、何度か投稿した斉藤幸平さん。

先日あっちゃんのYouTubeの松本さんに対してのYouTubeについて投稿したよ。こういうものに代表されると思うんだけど、最近て論破だったりとか、分断だったりとか、なんださぁ、みんな仲悪いよね…
一方で、多様性みたいなこともすごく言われていてるけどね。でもなんだか分断が広がっていってる感じ。さぁ、どうしたら私たちは、まともな共同体を作っていけるのか。
これは、別に国家レベルの話ではなくて、会社だったり、家庭だったり、いろいろなものに置き換えて考えることのできる問題だと思ったよ!

教養で解決できるか?


みんなが勉強して、いろんな考え方を身に付けて、そうすれば良い共同体が作れるかと言うと…
そういうわけでもないんだよね。

もちろん教養身に付けること自体は良いんだけれど、教養っていうのは、基本的に何かを疑ってみる発想から結構きてるから、あんまり教養を突き詰めすぎると、すべてのことに懐疑的になって、あれも違うこれも違うってなってすごく空虚なものが残ってしまうんだよね。
例えば最近論破なんて流行ってるけど、これも誰かの意見に対して、教養で懐疑的な態度をとって反応していくみたいなもの。このように絶対的な真実なんてないから、どうしても懐疑主義の方が勝ってしまうのは当たり前なんだよね。
皆が論破しようとしているような共同体が、そんなに共同体だって言えるかね。
世の中が何も正しいものなんてない、なんだか空虚なものになってしまったら、私たちは結構辛いよね。

では啓蒙はどうか?


この教養の次に出てきたのが、啓蒙。
これはつまりね、なんでも科学技術に答えを求めるみたいな発想。
現代は、この科学技術テクノロジーが支配しているとも言えるよね。いかに科学で説明できるか?みたいな。科学で説明できないものは信じない、みたいな風潮があると思う。
でも、こういう科学で説明できないものを、信じられなくなった人間というのが、これまた本当によい共同体を作れてるだろうか?これも微妙だよね。
宗教とか、何かを信じるとか、そういうものを失ってしまうと、科学だけに頼って今本当に幸せになっているだろうか…

告白と赦し(ゆるし)


そして最後!
じゃあどうすればいいかと言うことで、ヘーゲルが出した答えが「告白と赦し」という関係。
これが良い共同体を作るヒントになるよ。

それは、お互いに自己批判をしているような関係。
例えばなんだろうね、喧嘩をしたときにさぁ、
Aが「私はこういうところが悪かった、と思ってる(反省)」
Bが「いやいや私もこういうところが良くなくて、本当はこういう風に思ってて…」
そして、お互い告白してきたことに対して、許す、相手を許す。
そのように、それを許し合える、許し合える関係があると、じゃあこれからどうしようかって前向きに考えることができるし、より良い共同体になっていくことができる。

この話感動したんだけど、まぁ実際難しいことだよね。
自分の意見をいかに押し通そうかなんて考えている限り、良い共同体にはならない。自分のことを批判して、自分には何か間違ったことがないか、という自己批判の姿勢を持って、それを伝えて、それを許してもらえるような関係、これが素敵な共同体を作っていくのかもしれない。
だからね、政治家とか芸能人とかが、何かを誤っている時、それに対してさらに責めるようなことをするんじゃなくて、私たちにはそれを許す、そして一緒に考えていくって言う態度が求められているんじゃないかなって思う。友達でも部下でも同じだよね。

仕事でもさ、自分のミスとかを素直にさらしてくれる上司ってすごい安心できるし、尊敬できると思わない?
相手を信じて、自分のミスとか間違いとか、そういうものを告白していく。
ちょっと勇気がいるけど、まずは自分が告白していこう。そうしたらもっと良い人間関係が作っていけるのかもしれない。

すごい難しい内容ではあったけど、めちゃめちゃ心に響きました。やっぱり名著っていいなぁ。まる

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