Vol.4 武士道を体得する~王者の徳目「仁」~
はじめに
はじめまして!無知の大学生と申します!
私は「武士道」を学び、その学びを現代に活かす方法を模索しています。このnoteでは新渡戸稲造の『武士道』を章ごとに読み解き、現代社会における実践方法を考察していきます。
今回は第五章「仁」について、その本質的な意味と現代における実践方法を探ります。
第五章 「仁」 慈悲の心
定義と意義
「仁」とは、愛、寛容、他者への情愛、哀れみの心を指す、武士道における最も崇高な徳目です。この徳は二つの理由で「王者の徳」と呼ばれました:
1. 諸徳の中で最も輝かしい徳であること
2. 偉大なる王者にとって不可欠な資質であること
日本で封建制が、暴君による専制政治に陥らなかったのは、指導者にこの「仁」の精神があったからです。孔子はこの高貴な仁を、「民の好むところを好み、民の憎むところを憎む」として教えています。
「仁」の本質
「仁」は、優しく柔和な徳である一方で、闇雲に慈悲をかけることではありません。そこには必ず正義や公正さが含まれていなければなりません。
つまり、何でもかんでも優しさや哀れみをかけることは「仁」とは言えず、その慈悲に何か正義的な意味合いを含んでこそ、「仁」と言えるのです。
現代の例に即すれば、子供に何でも買い与える優しさは仁とは言えない、ということです。
慈悲の心を育てる詩歌
武士はこの「仁」の精神を、文学的素養を通して養いました。
厳しい鍛錬を詰む一方で、詩歌や漢詩を通して、穏やかな優しさ、憐れみ、愛情といった優雅さを吹き込んだのです。
簡潔で端的に物事の真理を突く、詩歌は純粋な感情を表現することに適していました。
このように、武士は勇ましい武勲だけでなく、柔和な慈悲の心である「仁」を求めました。
体得
※ここからは僕の個人的な考察と意見です。
現代で「仁」を鍛えるには、読書しかない。
今回はこれをテーマに「仁」を深堀りたいと思います。
憐れみをかけるには、他者理解が不可欠
僕は、誰かに優しくしたり、憐れみをかけるためには、相手の気持ちを理解する力が必要だと思っています。
もっといえば、困っていたり、苦しんでいる人を見つけるためには、その人の気持ちを察知し、共感する能力が不可欠であるということです。
しかし、自分の経験だけでは、その理解には限界があります。
例えば、失恋を経験したことがなく、今まで順風満帆に恋愛をしてきた人からすれば、恋人と破局して絶望の淵に立つ人の気持ちを理解することができません。
何となく辛そうだな、程度は理解出来ても、何がどう辛いのか、まで踏み込んで理解することは困難なので、慈悲をかけるべきなのかが判別できないのです。
もうひとつ例を挙げます。
有名なマリーアントワネットの言葉です。
マリーアントワネットは食べるものがなくて困っている市民をみて、「パンがないなら、ケーキを食べればいいじゃない」と発言しました。
これは、マリーアントワネットは市民のことが理解できなかったために、理解する機会がなかったがために、民に憐れみをかけることができなかったのだと思います。
話をまとめると、慈悲をかけるために相手の気持ちを理解するには、自分の世界以外の感情や考え方に触れる必要があるのです。
詩歌で他者を理解した武士
武士はその他者を理解する力の醸成を、詩歌に求めました。
武士は詩歌を通して、過去の偉人からその時代に生きる貴族、百姓まで、あらゆる立場の世界に触れました。
『武士道』の中でも述べられていますが、詩歌は純粋な感情を表現することに適しており、それらを学ぶには最適な媒体だったのです。
このように、武士は「仁」の土台である「相手の気持ちを理解する力」を育んだのだと思います。
現代の詩歌
現代の「詩歌」にあたるものはなんでしょうか。
それこそが、読書です。
自分が実際に体験しなくとも、小説の主人公の心情を通して、その価値観を理解する。そして、色々な感情を自分の心に貯めていくのです。
そうすれば、もしリアルの世界で同じような気持ちを抱く人が近くにいた時に、自分にストックされた感情から、近しい感情を取り出して、その存在に気づき、優しくすることができる、つまり「仁」を実践できるのです。
簡潔にするために、「読書」と表現しましたが、JPOPをはじめする歌や映画も同様の役割を担っていると思います。また、読書は小説からビジネス書、古典、とジャンルは問いません。なぜなら、全て、「人の想いが籠ったもの」であることは変わらないからです。
これが、現代の「仁」の鍛え方です。
おわりに
他の徳目と同様に、「仁」は封建制社会特有の単なる古い概念ではなく、現代のリーダーシップにも不可欠な要素です。将来、指導的立場に立つ際には、この学びを活かし、真の「仁」を実践できる人間になりたいと考えています。
また、読書は単なる知識の獲得ではなく、他者理解を深める重要な手段です。この視点で読書に取り組むことで、より深い「仁」の実践が可能になるのではないでしょうか。
次回は、現代でその意味が最も勘違いされている「礼」についてです!