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いのちのおわり、はじまり。を想って、つくったうた 「あおのそらへ」の生まれた背景
昨年、初めて歌をつくりました。
共に暮らしていた、愛する猫 あおちゃんがなくなり
時間が止まったような長い空白の中で
「一体何のためにこれから生きていけばいいんだ?」
と虚無感に押しつぶされそうな時。
日常にもどろうとしても何度も闇に吸い込まれ
いろんな気持ちにのまれていく時。
周りの人の手に支えられて、
もう一度自分の足で動き出せるようになった時。
そのひとつひとつの瞬間を言葉にして、歌にしました。
悲しみに寄り添う歌でもあり、
今ここにある自分のありのままを受け入れる歌であり、
自分自身をエンパワーする歌であり、
希望とお祝いの歌でもあります。
よかったら聞いてください^^
うた「あおのそらへ」
▼書いたコードを初めてピアノで演奏してもらったとき。
▼がっつりレコーディングしてCDに収録したとき
私は事あるごとにあおちゃんに話しかけ、
悲しいことも嬉しいことも聴いてもらって、
夜は一緒にねて、朝も一緒に散歩に行っていたので
⠀
あおちゃんがいなくなってからは
あまりの寂しさに毎日起きるのがつらくて、
夢から覚めたくなくて、
しばらく部屋に引きこもっていました。
それでも庭にいるピヨたちや、
「ごはんをたべないと」と心配をしてくれる友人に支えられ
たまに庭にでて、朝日をあびて、
プラムの樹に話しかけて過ごして
少しずつ、すこしずつ
あおちゃんがいない日常になれていきました。
あおちゃんが亡くなったあと、
同居している友人と共に、あおちゃんを
うちの庭にあるプラムの樹に還しました。
あおちゃんの身体から栄養が土に還ってこのプラムの樹が元気になって、時期が来たらプラムがなって、それを食べたら、わたしはまたあおちゃんと一緒に生きるんだ。といって
⠀
ある朝、目が冷めたあと身体がうごかず
そのまま天井をみつめていると
その友人が私の部屋まできて手を握り
その年、はじめてできた、あおちゃんのプラムを
「桜子に。」って持ってきてくれました。
それから数日してピヨ(うちに住んでいる鶏)
がはじめて卵をうむようになって
すこしずつ、わたしの新しい日常が現れてきました
⠀
寂しさや後悔がうすれていくことは
前に進んでいこうとするときにはありがたいのだけど
同時にあおちゃんを忘れていくような悲しみがあって、
わたしはどんなふうに過ごしたら良いのか、
また悩む日がつづきました。
⠀
こんなにも悲しいなら、もう何も愛したくない。
こんなにも悲しいなら、心をひらきたくない。
と想ってしまう。
けれど、自分の心が閉ざされていくと
何をしても楽しくない。すべてがグレーの世界に感じる。
自分がぺらっぺらの嘘つきな感じがする。
生きた心地がしなくて、ただ時間が過ぎているだけ。
と感じる日々となりました。
「ああ、このまま死んだように生きるくらいなら、
生きていたくない」と思い、
自分のいろんな気持ちに蓋をするのでもなく
悲しみに浸り続けるのでもなく
この体験を自分のいのちの肥やしにしようと
言葉をつづり、うたができあがりました。
⠀
それが「あおの空へ」です。
今生きていることの奇跡や美しさを思い出せる
透き通っていくような歌になったと思います。
自分を鼓舞していくための歌でもあります。
良ければこちらからダウンロードして聞いてみてください^^
あおちゃんとのお別れの話
わたしは自分のいのちが終わりを迎えたら、
桜の木になろう。と、いつの日からか想っています。
⠀
桜子が、桜になって、春にはお花を咲かせるから
毎年春になったら、きっとみんなであつまって
たのしい時間を過ごしてね。
⠀
最初は冗談のつもりでいっていたけど、
そうやって、仲のいい人達があいにきてくれて
花を愛でながら、うたったり、遊んだり
お酒をのんで語ったりしてくれたら、
そんなうれしいことはない。
そして、私が桜の木になったら、
きっとみんなその場所を大事に手入れして
山や川や海とのつながりを思い出してくれたら嬉しいです。
そんな思いでもうひとつ歌った曲が
「めぐるイノチの歌」