まずは眠って、そして、起きたら何かおいしいものを食べよう「ペンションメッツァ」ドラマ感想文
宿に泊まるということは、寝る場所をいつもと違うところにすること。
眠るということは、とにもかくにも、生きていくのに絶対必要な時間。
ペンションメッツァに泊まれたら、テンコさんと話せたら、次の日の朝に目が覚めてから、それからの日々が少しだけ変わりそう。
しずかでやわらかな木漏れ日のようでありながら、たくさん伝わってくるものがある、全7話のドラマです。
山の紳士
長野の別荘地、カラマツの森の中にたたずむ一軒家「ペンションメッツァ」。
メッツァはフィンランド語で森という意味なのだそう。
そのペンションの客室は一室のみで、その家に住む、小林聡美演じるテンコさんはひとりで自由気ままに暮らしながら、ときおり訪れるお客さまをもてなします。
第1話では、役所広司演じる「常木」と名のる学者が、頭に葉っぱをくっつけて森から現れ、宿を探しているとやって来ます。
黄土色のスーツを着て草むしりを手伝ったり、犬の鳴き声に飛び上がったりしながら、夕暮れには礼儀正しくハンバーグとワインの食事をします。
「これは、何という料理ですか。肉なのに、ずいぶんとやわらかい」
とおいしさに感激しています。
「植物や、動物や、いろいろ」の学者だという彼は、食物連鎖でつながる自然界の生命を語り、そこに含まれない人間の「感情」は、やっかいであると話します。
山野を自由に歩き回る自由がありながら、それでも遠くに見える街の灯に惹かれてしまうと。
テンコさんも話します。
ペンションを始める前、1人でのんびり植物を育てたり、おいしいものを作って食べたりするぞとはりきって暮らしていたのが、あるとき、作った料理がおいしいのかどうかわからなくなったと。
「人間って時々、誰かのために何かをしないとダメになってしまう生き物なんですね」
なるほど、これは難問です。
その答えは、とことん自分の思うままに過ごしてみないとわかりません。
昔、幼い私を育ててくれたおばあちゃんは、家を改築して台所が変わってからあまり料理をしなくなりました。それからいろいろなことを少しずつ忘れて、わからなくなっていったことを思い出しました。
自分のためだけのことをして暮らす日々は、いつか来るのでしょうか。
それはきっと自由で楽しそうとわくわくしますが、本当のところはまだ謎です。
さて、子どもたちの夕飯を作るとしましょう。
夜はいらない、という日も多くなりましたが、黙ってお皿も鍋もカラにしているので、とってもおいしいと思って食べているに違いありません。
ひとりになりたい
第2話では、ソロキャンプにはじめてやってきたミツエさんがペンションメッツァに泊まることになります。
ミツエさんは保育士ですが、とにかく1人になりたい、と思っています。
そして、みんなにやさしくしましょう、などと子どもたちにお手本のようにふるまっている自分がしっくりこないようです。
テンコさんも話します。
人の声のしないところへ行きたくなる感覚は誰にでも、子どもにもあるのでは?と。
人それぞれ、やさしさもその人のやり方でしか表せない、と。
森の中のペンションで、1人で初対面の人を招き入れることについて、不安はないのかなと思っていたら、ミツエさんががテンコさんに質問してくれました。
「怖くないですか?」
「どこにいても怖いことってあると思う。」
なるほど、たしかに。
「嫌な人が来たらどうするんですか?」
「‥‥(少し考えて)帰ってもらいます。」
かっこいいです。
でも不思議とそんなに嫌な人は来ないそうです。
運がいいのだとテンコさんは言いますが、それはテンコさんの人への対し方にも理由があると思いました。
大人が不安に思うような感覚を、子どもにも普通にあるでしょう、と言うように。
やさしさの表し方さえも人それぞれだと認めます。
どんな人に会ってもきっと、評価したりせず、ただ、きちんとしたそのままの自分で関わるのだと思います。
聞きたいことや、相手にとって話題にするべきと感じたことは、思いやりを持ちながら、ユーモアを添えつつはっきりと聞いたり。
だから相手も格好をつける必要がないかわりに、背筋をのばして自分の本当のところで相対することになります。
その準備ができないときは、ペンションメッツァには辿り着けないのかもしれません。
燃す
第4話は、久しぶりに訪れた常連のお客さま。
フォトグラファーのフキさんです。
世界の国々を訪れ写真を撮るその仕事が、つまらなくなった訳ではないが、慣れてしまったのかな、と元気がありません。
「私は通り過ぎるだけだから」
同じところでずっと同じことをしっかりと続けている暮らしを、いいなあと感じるそうです。
テンコさんは話します。
私は、同じところにいて、通り過ぎるのをじっと見ているだけだから、フキさんのこといいなあって思うことあるよ、と。
2人の会話を聞いていたら、動いていても、いなくても、そこにいる自分は同じなのだから、どっちもそんなに変わらないのかも、という気がしてきました。
確かにしょっちゅう旅行に出かけている友人をうらやましく感じますが、旅先で、もしくは家で、どう思って過ごしているかはとても重要なことかもしれません。
またテンコさんは、偶然と思うことや、何でこんなこと、と思うことも、やっぱりどこかで自分が選んでそうなっていると言います。
ペンションをやっていることも、実は自分に向いていないと思っていたそうです。
それなのに、訪れる人に気持ちのいい部屋と、おいしい食事をそれは丁寧に準備して、やりがいを感じているように見えます。
向いていないと思っても、続けることで自分の中に新しい発見があったのかもしれません。
同じ1日を使うなら、何でこんなこと、と嘆きながらよりも、向いてないと思ったけど続けてみたらちょっとおもしろいかも、なんて言えたらいいなと思います。
そして2人はフキさんの過去の写真たちを
「燃しますか」
と言って、真夏の焚き火で暑い暑いと言いながら燃やします。
複製のきく写真とはいえ、作品を燃やすというのは、絵を描く自分を振り返っても経験がありません。
ただ、否定して捨てるという意味ではなく、上着を脱ぐような、脱皮して皮を捨てるような感覚なのでしょう。
翌朝、また新しい写真を撮りに、フキさんは森へ歩いて行きましたから。
ヤマビコの休日
「ヤッホー、ヤマビコでーす」
と、ペンションメッツァに食材を配達してくれるのは、ヤッホーヤマビコストアのヤマビコさんです。
第5話では、泊まり客のいないある日、テンコさんが遠くまで散歩した先の湧き水場で偶然ヤマビコさんに会います。
帰りに配達の車で送ってもらって、お茶でもいかがと招きます。
ヤマビコさんは、これまで大工仕事の経験があり、ペンションメッツァの室内へ入ると、ほう〜、とか、はあ〜、と感嘆の声をあげながら、立派な杉の太い柱や漆喰の壁を眺めてさすったり、うれしそうに窓を開けたりします。
ヤマビコさんと一緒によく見ると、落ち着いたベージュのリビングのソファには、小さな赤いクッションがアクセントになっていたり、置いてある小物もどこかのおみやげっぽかったり、猫の絵がいくつも飾ってあったりして楽しいインテリアです。
ヤマビコさんは、怪我をして大工を辞めたそうです。
転々として、フラフラして、印象に残っていたこの土地に来たそうです。
「ここの野菜うまいじゃないですか、食べるものを運ぶって、シンプルにいいなって。」
ヤマビコさんの仕事も、特にやりたいことではなかったけれど、やっているうちにおもしろくなって続いているようです。
大人になったら、どうしても何かの仕事はするものです。
食べていくために、夢を追うのをやめることもあるでしょう。
それでも毎日する仕事について、自分の時間を使うことなので、どんな気持ちでやっているかは大事です。
「人も季節とともにうつり変わる」と、テンコさんは言います。
仕事をしたり、好きなことをしたり。
同じような毎日も、少しずつ違っているかもしれません。がんばって、続けていることも、少しずつ成長したり、変わっていくかもしれません。
よく気をつけて、自分の変化を感じとれるようにしたいと思いました。
さすらう
地に足をつけて、しっかりと暮らしていらっしゃる、と言われるテンコさんは、ここにいようかな、それともどこかにいこうかな、といつも考えているようです。
継続は力なり、というのは真実なのでしょうが、続けるだけが正解ではないこともあります。
しても大丈夫な辛抱はあってもいいですが、辛くなる我慢はしない方がいいに決まっています。
かつて本当に心が傷ついて弱っていたとき、あなたは病気ではないよ、と言ってもらいたくて病院に行ったら、
「眠れていますか」
「食事をとれていますか」
と聞かれました。
眠ることと、食べることが、両方できなくなったら本気で必死で助けを求めるか、回れ右をして、その状況から逃げ出すことが必要なのだ、とそのとき教えられました。
テンコさんにも、かつて辛いことや悲しいことがあったはずです。
それを乗り越えて、そしてふり返って、あのときがあったから今があるのだと、強がりでなく言える人です。
自分と相手に正直に、誠実に、やさしく、無理はし過ぎず、でも野望は持って。
私もそんな、かっこいい大人でいたいです。
ドラマ「ペンションメッツァ」
日本の映画でいちばん好きな作品は「かもめ食堂」です。
このドラマの脚本と監督は松本佳奈さん。
「かもめ食堂」の荻原直子監督の作品「めがね」のメイキングの仕事から、監督になったそうです。
「東京オアシス」
「マザーウォーター」
「パンとスープとねこ日和」も、これから観ていこうと思いますが、「ペンションメッツァ」と上記の3作品の主題歌が、全て大貫妙子さんです。
ふんわりとした歌声がそっと木々の葉を揺らして、作品の世界にそよ風を吹かせているようです。
2人の監督の作品にはいつもいてくれる俳優さんがいます。
小林聡美さんと、もたいまさこさんです。
もたいまさこさんの「ペンションメッツァ」での役名は、森の人。
鮮やかな青いワンピースの姿で全7話、必ずどこかに現れますが台詞はなく、森の中でこちらを見ていたり、やっかいな感情をもてあましているような人にちょっとだけやさしくしたりして、作品の現実とそうでないものの世界をさりげなく結んでいる存在です。
ピアノの曲が流れて、ただ森の風景だけが映るシーンがたくさんあるドラマです。
大事件やドラマチックな展開や、白黒はっきりがお好みの場合は物足りないかもしれません。
それでも、私たちの日常や感情には、白と黒の間に何段階ものグレーがあり、その細かなグレーのひだこそを大切にしたいと思うのです。
見出しの言葉は、ドラマの各回のタイトルになっています。
第6話は「むかしの男」なのですが、テンコさんに20年以上ぶりに会いに来た元彼のコマちゃんが、得意のコーヒーを淹れてくれます。
「なんで僕たち、あのとき結婚しなかったんだろうね」
なんていう話もするので、あまりに感想が長くなりそうで、今回は入れていません。またの機会に。
最後に、テンコさんが作る料理や、コーヒーを淹れるときにお湯でふくらむコーヒー豆の様子など、見ているとお腹がすいてくるくらい、食べものがおいしそうに描かれていることについて。
誰がこんなにおいしそうな料理を作っているんだろう?と調べていたら、もう1人、飯島奈美さんというフードコーディネーターが、私の大好きな作品たちにいつもいてくれる人だと知りました。
作品のために用意する食事は、おいしそうなだけでなく、本当においしいと評判なのだそうです。
それではこのへんで、感想文をおわります。
最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。
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