一度だけのふたり展、sad end
ずっとずっと前に、友人と2人でイラスト展をしたことがあります。グループ展は何度かありましたが、2人で展示をしたのはその一度だけ。
あまり人には話していない、深いところにある大切な思い出です。
もしよければ、おつき合いください。
憧れの月光荘画材店
美大を卒業して文具メーカーにデザイナーとして就職したのち、数年たってフリーのイラストレーターになっていた頃のお話です。
ある日、友人のnちゃんと銀座の月光荘画材店を訪れていました。
月光荘は行くたびに、並んだ絵の具に見惚れて、紙の手触りを確かめ、時間をかけてカードに印刷された文字を読んではクスッと笑ったりして、結局スケッチブックを一冊だけ買って帰るというのがおきまりでした。
月光荘のホルンのマークは、ヨーロッパの郵便局のマークのようで心惹かれるものがありました。本当は仲間を呼び集めるためのホルンなのだそうです。
あのオリジナルのスケッチブックを手にすると、あとからあとから描きたい絵がわいてくる気がするような、勇気の出るアイテムでした。
月光荘画材店には、小さなギャラリーがあります。
「こんなところで展示できたらいいなあ!でも1人でこの壁うめるのはさすがに大変か‥‥」
「じゃあ、一緒に2人でやる?」
そう言ったのが、自分だったかnちゃんだったかはもうおぼえていません。
月光荘がまだ銀座7丁目にあった頃。
今は作品の審査があるようですが、当時はわりとすんなりギャラリーの予約が取れました。
半年後の9月、月光荘画室1での2人展が決定!
フリーになって、とりあえず作品を展示したいけれど1人で途方に暮れかけていた私と、nちゃんが一緒にやってくれることになりました。
しかも(何度もしつこいようですが)、大好きな月光荘で。月光荘の空気感の中に自分の作品を並べるなんて。憧れは、人を怖いもの知らずにするのかもしれません。
nちゃんのこと
友人のnちゃんは老舗洋菓子店にデザイナーとして勤めていました。パッケージや、メニューなんかも考えてると、はしゃぐことなく静かに、でも楽しそうに教えてくれました。
大学で知り合って、いつも一緒にいるというのではなかったし、nちゃんともっと仲のいい人達はほかにいたのだけれど、絵本が好きだったり、取った授業が同じだったりで少しずつ親しくなりました。
卒業旅行で1ヶ月のヨーロッパに誘ったときは断られたのですが、飛騨高山へ2人で旅行に行ったこともありました。
たまにうちまで遊びに来てくれたこともありました。友だちが少ない私にとって、nちゃんはかなりのなかよしポジションだったけれど、くっつき過ぎない心地よい間柄。
そんなnちゃんは、青いガラス瓶を集めるのが好きでした。
ふたりの小さな展覧会
ギャラリーを予約してからは、毎日夢中で準備をしました。
作品を仕上げることはもちろん、2人で展示の構成を考えたり、ポスターやDMを手作りしました。かろうじて実家に保管されていた年代物の簡易印刷器「プリントごっこ」で、赤い実がモチーフのポスターやDM(招待状と呼んでいました)、販売するポストカードの作品を刷ったりしました。
英文字はバラで持っていたアルファベットのゴム印を、活版印刷屋さんのようにひと文字ずつ並べて原稿を作ったりして、本当に好きなように自由に作りあげていきました。
ああしたい、こうしたいと言う私にnちゃんは、いつもきちんと考えてから、心よく「いいと思うよ」と答えてくれました。
いよいよ1週間の展示がはじまりました。
お客さんは来てくれるかな?
不安をよそに、毎日大にぎわいとまではいかなくても、通りがかりの人や、いつも見に来るんですというお客さんや、招待状を送った友人知人はほぼ全員が足を運んでくれて、たくさんの人に見てもらうことができました。
友人の結婚式で疎遠だった旧友と再会、のように、懐かしい古い友人たちの顔を見ることもできました。
nちゃんの知り合いには有名な雑誌の編集者がいて、すごいねえと感心していたら「muちゃんは友だちが多いね、いっぱい来てくれてたね」と言われました。
あれは先輩とか知り合いで、本当の友だちは少ないんだ、でもnちゃんは本当の友だちなんだよ!と言いたかったけれど、そのときは何だかうまく伝えられませんでした。
こうしてしあわせな7日間が過ぎ、ふたり展が終わりました。
搬出した作品の大荷物を持って、数寄屋橋に向かって歩いているとき、ちらちらと雪が舞ってきたことが忘れられません。
どこからか飛ばされてきた風花だったのでしょうか、9月末のことでしたが、その後nちゃんと会うたび話すたび、「最終日に雪が降ったよね!」と言っては「またその話してる、もう何回め?」と笑われたものでした。
ふたり展のその後、sad end
小さな展覧会をしてから何年かたって、nちゃんは地方へ引越していきました。
それからすっかり会うこともなくなって、それでもお互いの誕生日にプレゼントの小包みを郵送しあう、というのを何年も続けていました。
nちゃんは春生まれ、私は秋生まれ。とっておきのレターセットで手紙も書きました。
ある年の秋、nちゃんから手紙だけが届きました。
封を開けて読んでみると、nちゃんのお母さんからでした。丁寧なきれいな字で便箋に何枚も文章が書いてありました。
「nと仲よくしてくれてありがとう、いろいろなことを一緒にしてくれてありがとう、nはもういないのです。」
卒業旅行の誘いを断ったとき、「海外だと迷惑かけるかもしれないから」と言っていたnちゃん。
北関東に引越したのは、きれいな空気が必要だったから?
病気だとか、何も教えてくれなかったnちゃん。
あまりに驚いて涙も出なかった、突然のお別れでした。
nちゃんがこの世にもういないことを手紙で知ったせいか、長いこと会えない友だちを思い出すように、時おり2人で過ごしたことを思い出しました。
最後になるんだったら、誕生日には青い瓶を贈りたかったな、と何度も考えたり。
そして絵を描こうとするたびに、nちゃんの分も、というのではなく、今も離れた場所でまだ一緒に描いているような気持ちになるのでした。
長いこと誰に話すこともなく、年月がたちました。
noteをはじめたとき、しばらくちゃんと絵を描くのをお休みしてたけど、またイラストを描こうと思ってる、とnちゃんに報告したら今になって泣けてきたのは歳のせい?
月光荘のホルンは本当に仲間を呼んできてくれました。あのまっさらな画室の壁を、またいつの日かうめられるように、と心を新たに。
最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。