偉そうな懸念
この日報でチラっと触れたのですが
ここ最近
会社の休憩中にnoteやTwitterなどのSNSでランナーの方の記事を眺めていて思うのだけれど
私には記録らしい記録がない
唯一でた大会もまだ国際マラソンの1発だけ、あんなの何の運動もしていなかったチビデブハゲなおっさんが走ったと言うより地べたを這いつくばっていたに近い
普段私と車と草以外何もないような道をここ最近ランナーの人が走っていて、横断歩道で時計的なものをピッとして、青になったらまたピッと触ってて、多分記録をとってるのかなとふと思った
中には集団で走ってキロ何分がどう、とか楽しそうにしてる方もいた
愛しい妻が膝を故障している為、ここ最近私は常に1人で走っているが、最近やっぱり記録とか取ってみようかなと揺らいでいる
と言うのも私は飽きるのがちょっと怖いのだ
数字は確かにモチベーションになると思う、1時間何分とかキロ何分とかたまに妻が口にしているのを聞いたことがある
私はキロ何分なのかもわからない、もっと言うと距離も知らない、家からここまで大体10kmくらいですね、と妻が言ったワード以外自分で調べたこともない、興味が出ない
一度距離を測ったりタイムを測ったら、次はこれ、次はこれ、目標ができるのはわかる、それはとても素晴らしいことだと思う
だが中年のおっさんには限界があるとも感じている、いかに私が走れるようになっても数字には限界があり上には上がいるだろうなと思う
それを目の当たりにした時、壁にぶち当たった時に私は乗り越えるよりも先に投げ出してしまいそうでちょっと怖いのだ
なんてチキン野郎なんだと我ながら感じるのだけどこれが私が記録や距離を気にしない理由である、できることなら飽きることなく長く、気持ちよく走っていたい
先は長い、深い、コトバにならないくらい
(THE BLUE HERB)
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