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「文系」は何の役に立つのか

「文学部って何勉強してんの?/何の役にたつの?」

文系の方なら一度は聞くであろうこの言葉。
僕も例にもれず学生時代に理系の友人から言われ続け、悔しくて何とかそれらしい反論をしていました(笑)

でも、当時は自分でも、文系(特に文学部)の役割をしっかり言語化出来ていませんでした。ただ、「結局、人間として善くないと何事も務まらない」とは思っていて、文学部では人間について理解を深め、自分を高めようという気持ちで頑張って勉強していました。

一方でやはり、そうした知識をどうやってアウトプットして、社会に還元していくべきなのか、学生の自分にはさっぱり見当がつきませんでした。学部時代には西洋古典学を、院生時代には文化人類学を専攻しましたが、これらの学問のディシプリンを活用して、「それを身につけた自分が何かしらの活躍をする」ことが文学部の社会還元だという、何とも曖昧でさみしい結論に至ったことを覚えています。

現在は教員として仕事をしていますが、「自分の仕事がどのように社会(生徒)還元されているか」を自分なりに言語化したいと、常々思っていたところ、この本を読んで、僕なりのヒントをもらうことができました。

「◯◯力」という「概念化」が得意な齋藤孝氏ですが、この本は個人的にとてもささりましたので、経験談とともに紹介します。

「概念化」が大事

教員という仕事をしていると、「自分のアウトプットを(望む望まないに関わらず)待っている生徒たちがいる」ということをとても意識します。そのとき、自分はどのようにアウトプットすれば生徒にとってより有用な知識を提供できるのか、ということが問題になります。

例えば、「戦争」について生徒に教えたいと思ったときに、歴史上の様々な戦争を挙げたあと、それらを統合して「戦争とは何か」考えてもらいます。その際、①戦争の原因、②それが将来社会に与える影響、③戦争が個人の生活をどれほど脅かすのか、どれを教えるべきでしょうか。もちろんどれでも良いですし、その組み合わせでも良いのですが、結局は僕という教員がそのアウトプットを組み立てて生徒に教えることになります。そうすると、生徒にとって「戦争」は、

「どんな戦争も始まりは地域レベルの小規模な衝突から始まる」(原因)
「戦争は多くの犠牲と引き換えに体制変化や技術革新をもたらす」(影響)
「戦争は罪もない市民を巻き添えにする」(個人との関係)

というように、さまざまに概念化されることになります。言いようによっては、「僕のアウトプットが、彼ら/彼女らの概念を作る」わけです。

さすがにちょっとおこがましいかもしれません。なぜなら、生徒たちが学ぶのは僕一人からだけではないからです。でも、こうして見たとき、自分の「生産性」に気がつくことが出来ました。人生においてインプットしてきた自分の「人間理解に関わる知見を、様々な形で概念化して提供する」ことが、僕自身の果たすべき生産活動だと思うようになったのです。そして、その生産活動を行う機会として、学級・教科活動・教科外活動など学校生活の様々な場面があるということです。

文系的な知にとっては、概念=言葉が現実をとらえるための最大の武器です。これまで意識されてこなかった曖昧な現実に、名前をつける(概念化する)ことによって、現実をとらえるための可視化をするというのが文系の知の力です。

『「文系力」こそ武器である』151ページより

文系の生産性と強み

先ほどの本は、文系として社会に貢献する、つまり社会に対して何かを還元していく、生産性を示す、という僕の学生時代からの課題に対して、答えを出してくれました。文系の生産力は、

「統合力」と「新しい概念の提供」

つまり、複雑系である社会に対し総合的な視点で現実を捉え、言語化し、その対策を提案することです。これが、文系の生産活動といえると思います。

また、「専門」というのが「他の分野との分化・差別化」という意味合いであるとするならば、理系に対して専門性が低くぼんやりしている分、様々な分野を興味・関心の対象として、差別化ではなく包括していくことができるというところも、文系の強みだといえるでしょう。

タイムマシンで過去に戻って、学生時代の自分に伝えたい!と同時に、「文系って何の役に立つのか分からない」と悩む文系の皆さんに、胸を張ってもらいたいなと感じているこの頃でした。


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