自己紹介(社会人編)〜鬼怖上司が私に教えてくれたこと〜
前記事では、幼少期から大学時代まで、ざっと簡単に振り返ってみました。
自分の性格のせい、両親のせいにし、生きていることで本当の自分を知らずに済んでいたのです。
前回記事↓
しかし、今回の記事の社会人編では、とある方に出会い、環境の変化が起こりました。
そして、自分と向き合わざるを得ない出来事に出くわし、私自身に少しずつ変化が起こりました。
それらを振り返りながら、この記事によって皆さんの気づきや、勇気づけに少しでも繋がったらなと言う想いで書きました。
どうぞ、最後まで読んでいただけたら嬉しいです^_^
〜鬼怖上司と出逢う前〜
大学卒業後、当時同棲していた彼氏と結婚すつもりでいた私。
そんな甘っちょろい考えで、ろくに就活もせず、嫁まっしぐらに向かっていたのですが、私の諸事情により(浮気しましちゃましいて)、米と当時飼っていた犬と共に家を追い出されてしまいました。自業自得m(_ _)m
そんなこんなで、私は無職で何とか家を借り、全財産を叩き、1人と1匹の2人暮らしを開始。
仕事に困り、派遣で何とか自分と愛犬の命を繋ぎました。
就活もろくにせず、社会経験の少ない私がきちんと働ける訳もなく、派遣にとりあえず登録。
そして、派遣会社の方に、面接時には付き添っていただき、勤務先が決まると、頻繁に売場に見にきてもらっていた私。
第ニの母のように、至れり尽くせりの高待遇で、私は、某百貨店のアクセサリー売場に配属されました。
そこでも敬語が使えず、先輩方に優し過ぎる程のアドバイスをいただき、店長にも丁寧にご指導いただきました。
学生上がりと言うことで、期待もされていなかったのに、その売場では本当に親切にしていただいたのを、今でも覚えています。
そうやって仕事をする中で、ぬくぬくと温室で育てられた為、私はやっぱり働くって面白くないなと感じていました。
何てヤローやと、それから数年後に痛感するのですが( ; ; )
私って恩を仇で返すタイプの女だったんですよね〜。笑
最低な女でした。
そのため、仕事はただ遊ぶお金、暮らすお金を得る為にするもの。
それ以外の何の意味も見出すことは、この派遣先ではできませんでした。
〜鬼怖上司と出逢ってしまう〜
それから販売が嫌になり、飲食店で働いたりしました。
しかし、結局また販売に戻ることとなり、様々な派遣先を転々としました。
そして、とある派遣先で運命の出会いをしました。
引き抜きと言うものでした。
スカウトしていただき、その声をかけていただいた先で、派遣社員としてアパレルの販売を開始しました。
そして、すぐにこの私自身の選択を、私は後悔することになるとは引き抜かれた時には、夢にも思わなかったのですが、、、。
しかし、ものの数ヶ月、いや、数週間だったかもしれません。
ヤバい!この職場は。と、命の危険を感じた私は、店長に「辞めます。」と即座に伝えました。
この職場を去ろうと考えたのです。しかし、そんな私の考えは浅はかでした。
私は、二度と這い上がれない蟻地獄へと落ちた後だったと、とある言葉で気づかされるのでした。
「首輪つけてでも、辞めさせへんからな。」
この文字だけで、今でも震えます。笑
こんな書き方をすると、この上司に怒鳴りこみをされかねませんが(今では私の第二の母のような存在なのですw)、当時は、こんな感じでスタートした前途多難な職場が、本当に地獄でしかありませんでした。
しかし、この鬼怖上司との出会いがきっかけで、初めて仕事の楽しさを知ったのも事実です。
仕事に、こんなに一生懸命に取り組んだのは、初めてでした。
初めは、ただ怒られたくないと言う恐怖心からでしたが。笑
日に日に、仕事にかける想いを知り、目標達成をするチーム感、厳しさ故の愛情なんかも感じるようになりました。
それに、初めて私は、自分という人間を目の当たりにした瞬間でもありました。
今までは、自分の価値や良さの魅せ方なんて知りもしなかったですし、自分はカスだと本気で思っていました。
何をやっても中途半端で、何の取り柄も無く、真面目ではあるけれど頭も悪く、周りの誰よりも劣っていると自分を心底軽蔑していたんだと思います。
そんな風に自分を見ていたし、つまらない人格表現しかしてこなかったので、この上司にも「あんたは、見た目や外を飾るばっかりで、中身が空っぽのつまらん人間や」と、言われた瞬間、本当だなと感じました。
しかし、そう思う半分、何でそこまで言われなあかんねん半分で、悲しさと怒りで感情が大忙しだったのを覚えています。
〜鬼怖上司との闘い〜
それから悔しくって、悔しくって、自分って何なんかな。わからないなぁ。
自問自答の繰り返しで、苦しかったのを昨日のように覚えています。
とは言え、毎日悩むばかりだと自分の接客に変化が無く、売り上げが取れず、怒られるばかりでした。
それならと、自分が無いし、わからないのなら、まずは先輩を真似ろうと接客をずっと、観察しました。
自分と先輩や上司は、何が違うのだろうか。
ちょっとやそっとでは、違いも良さも自分では、全く気づくことができませんでした。
全然違うどころか、雲泥の差だと今なら分かります。
無知ほど恐ろしく、強いものは無いなと痛感しました。笑
その期間、日記をつけ始めました。
こんな風になりたい。
こんな接客をしたい。
少しでも先輩や上司に近づきたい。
迷惑をかけたくない。
そんな気持ちで、どうなりたいか、どんな所が素敵で羨ましいのか、毎日書き出しました。
恥ずかしいノートですが、このノートが次なるステップをくれたように思います。
しかし、日々、うだつの上がらぬ調子だった私は、毎日くらう上司の恐ろしく強烈なアドバイスで、少しづつではありますが、気づかせてもらい変化していきました。
そして、教わり、罵倒されながらも支えられ、何とか踏ん張れるようになっていきました。
とは言え、たった3年やそこらで、自分てこうだ!と言う問いの答えは、結局出ませんでした。
しかし、自分の良さや、魅力、そしてダメなところ、もっと良くしたほうがいい所なんかは、少しぼんやりでも感じ取ることをしていたように思います。
そして、ある年の初売りセール初日、初めて一番売り上げが取れたことが、一度だけありました。
めちゃくちゃ嬉しかったし、言葉にならない感情で、鬼怖上司と優しい先輩と呑んだビールが格別美味かったのは、言うまでもありません!
こんな感じで、ただただ恐ろしく苦しく辛い時代もありましたが、こんなしっかりとした人間関係を築いたのは、生まれて初めてだったようにも思います。
言葉では到底言い表せない感謝と、たくさんぶつかってもらった愛情に、言葉が見つからないです。
〜鬼怖上司が私に教えてくれたこと〜
そんな激動のアパレル時代を振り返り、気づいたことがあります。
自分を知ることってめちゃくちゃ大切だと言うこと。
自分の魅せ方を知っているのと知らないのとでは、ものすごく違います。
それは、仕事でも、対人関係でも、生き方にも通づるように思います。
そして、自分を知ることで、自分が自分をどう思っているのかを知ることもできます。
自分が自分をカスだと思っていた当時の私は、自分を本当に雑に扱っていました。
どうせバカだから、無理だ。
何をやっても続くはずがない。
何の役にも立たない。
価値のない人間だと。
そう思って、全ての選択を無意識にしていたように思います。
こんな私なら、この程度の生き方でいいやって。
そんな私でしたが、この鬼怖上司との出会いがきっかけで、自分と向き合う事を強制的にさせられました。笑
しかし、そのおかげで、少しづつ変化が生まれ、人間らしさ、つまり自分らしさを少し取り戻せたように思います。
しかし、これはまだ、自分と向き合うことの序章に過ぎなかったのです。笑
自分を知るって、本当に奥深いです。
この続きはまた、と言うことで^_^
この記事で、少しでも私と言う人間を知ってもらい、読者の方に何か気づきがあったらいいなと、思っています
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