死ねないから生きているだけという贅沢病。
私は時々かまってちゃんを発動する。
周囲の人に「生きてる意味がわからない…」と希死念慮を仄めかす。
すると姉や友達は「私のために生きてよ」と言ってくれる。
すごくありがたい言葉なのに、やさぐれパンダは「私がいなくても、あなたの人生は進んでいくじゃんか…」とひねくれる。
実際にそうだ。
私がいなくても、社会は回るし、夫は平気だし、子ども達は育つし、姉や友達にはそれぞれ家族がいる。
私は生まれてこの方、ひとりぼっちだ。
ただ、そんな時、母の顔が思い浮かぶ。
母はどう思うかな?
私に無関心と見せかけて、過剰に干渉してくる母は、私がいなくなったらどう思うかな?
きっと悲しむけど、それでも時間が経てば母の人生も進んでいく。
何のために生きてるんだろう。
ニーチェは「人生に意味なんてない。超人になれ。」と宣った。
私は超人になれるほど、人生に執着がない。
諦めている。
なのに、愚痴は出るし、欲は出るし、もう救いようがない。
もちろん、死ぬ勇気なんてない。
死ねないから、生きている、ただそれだけ。
それでも、今まで今日まで生きてこられたのは、周りにいる沢山の人々のおかげだと感謝している。
ひとりぼっちなのに、一人では生きていけない。
葛藤や矛盾や抵抗を抱えながら、やっぱり人は死ぬまで生きていくしかない。