1978年 Yrjö Veikko Turja

 1978年のメスタリペリマンニmestaripelimanniは、前回、前々回の記事でご紹介した2名に加え、このユルヨ・ヴェイッコ・トゥルヤYrjö Veikko Turja(1899年2月20日-1983年7月11日)の3名です。

 少し更新が遅くなったのは、この方、何が受賞理由になったのか今一つ合点がいかなかったからです。メスタリペリマンニmestaripelimanniの称号は、「伝統的な技術や豊富なレパートリー、その他の優れた業績によって、フォークミュージックの趣味を広めた人」に与えられる、と定義されているのに、オーケストラの経歴が長い。どういうことなのかな? と調べていたら、レパートリーが完全に民俗音楽のものでした。

 というわけで、ご紹介します。

Veikkoは、カウハヨキKauhajokiで会計士を生業とし、ペリマンニ楽師としては、2列ボタンアコーディオン(参考: メローディオンともいいます)、ヴァイオリン、ハルモニウム(足踏み式オルガン 参考) 、チェロなど様々な楽器を演奏し、声楽ではバリトンを担当していました。

 Veikkoが演奏を始めたのは5歳の時。まだ足がペダルに届いてもいないのに、ハルモニウムの鍵盤を触り、何かを弾いていたそうです。父ユホ・トゥルヤJuho Turjaに楽器の指導を受けながら演奏を続け、7歳の時にヴァイオリンを買ってもらいました。その1年後には、アメリカにいた兄がお金を送ってくれたおかげで、2列アコーディオンを購入できたそうです。

 その後、Suomen Valkoisen Kaartin Soittokunta (Finnish White Guards Band)(注: フィンランド最古のオーケストラ。2021年現在も活動を続けている。参考)のコンサートマスターだったアレクセイ・アポトスルAleksei Apostolに音楽を学びます。Alekseiはとても優れた指導者で、Veikkoの技術はわずか2ヶ月のレッスンでオーケストラの一員として十分なレベルを身に着け、バンドのレギュラーメンバーの一人となることが出来ました。

 オーケストラの活動から一時離れたVeikkoは、父Juhoが教師職に就いていたJalasjäviという村に移住すると、音楽が途絶えていた村にオーケストラを結成します。また、さらにJalasjäviの東、20kmのところにあるペラセイナヨキPeräseinäjokiでもオーケストラを結成しました。

 そして1933年、カウハヨキKauhajokiに移住すると、オーケストラでの演奏経験を活かし、40年に渡ってこの村で活動を続けることになります。

 民俗音楽アンサンブルを結成すると共に、ウルホ・ミュリュマキUrho Myllymäki(ヴァイオリン、アコーディオン奏者) ら多数の演奏家と共演する一方で、カウハヨキKauhajokiのオーケストラではトロンボーンとチェロを担当しました。チェロ奏者としては、Panulan trioというバンドも結成しています。

 また、1934年-39年にはバリトン歌手として、1952年-62年には少年バンドのリーダーとして、1969年-1972年には民俗音楽バンドの一員として音楽活動を続けます。

 Turjaは組織の一員としても活躍します。1954年から69年にかけてカウハヨキ音楽協会の理事会Kauhajoen musiikkiharrastusten kannatusyhdistyksen johtokun(すいません、ここの訳怪しいです)で理事を務めました。

 第二次世界大戦後は、南オストロボスニアで合唱団を指揮し、トルニオTornioクーサモKuusamoにも遠征しています。残念ながら民俗音楽のコンクールに参加する機会には恵まれなかったものの、Turjaはペリマンニ楽師として成功を収めました。

 例えば、地元のカウハヨキが主催したアコーディオンコンクールの60歳以下の部では優勝を果たしています。その後、今度はTurja自身がこのコンクールの審査員を務め、後にカールロ・ユホ・ストールベリKaarlo Juho Ståhlberg大統領の結婚式で演奏する栄誉に浴しました。

 カウハヨキを住まいとしたこの巨匠の演奏は、2列アコーディオンとヴァイオリンどちらも、優美さと飛翔感を感じさせるものだったといいます。派手さはないものの、3連符がはっきりと際立って聴こえる、音の粒が立った演奏でした。またアコーディオンの演奏では、メロディの前にベース音が鳴らないよう、細心の注意を払うといったこだわりがあったようです。

 残念ながら、そのこだわりが聴ける録音はほとんど残されていません。タンペレ大学の民俗学部にある、民俗音楽学者エリッキ・アラ=クニ博士Erkki Ala-Könniのコレクションの中には20曲程度録音が残されているようですが、一般に聞くことは難しいとのことです。ユルヴァJurva出身のヴァイオリン奏者レイノ・ヒエタマキReino Hietamäkiが録音した6つのカセットは、イカーリネンIkaalinenフィンランド・ハーモニカ研究所Suomen Harmonikkainstituutiに収蔵されています。

 Veikko Turjaの曲は、後にTallariという有名なバンドのLPアルバムにも収録されました。"Harjumäen kalliolla"(KILP 15)というアルバムです。

 このアルバムに収録されている、"Polkka Karva-Herkoolle"という曲は、Turjaが作曲したものではありませんが、よく弾いたいたそうです。以下は、Markku Lepistöという別のミュージシャンが演奏したものですが、ぜひ聞いてみてください。

 その他にも、彼の曲、彼が良く演奏した曲をいくつかご紹介して、この記事を締めくくりたいと思います。

Kuutin Paapan Valssi

Haapasen Anteron valssi

Vanha polska jalasjärveltä


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