MIKAMI Koji

フィンランドの民俗音楽、特に西部のペリマンニ音楽Pelimannimusiikkiについて発信していきます。ゆくゆくは、民俗衣装Kansallispukuに関するあれやこれやもご紹介していければと思います。

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フィンランドの民俗音楽、特に西部のペリマンニ音楽Pelimannimusiikkiについて発信していきます。ゆくゆくは、民俗衣装Kansallispukuに関するあれやこれやもご紹介していければと思います。

最近の記事

カンテレ奏者クレータ・ハーパサロKreeta Haapasaloのお話

 このnoteは、フィンランドの民俗音楽家、ペリマンニpelimanniたちのことについて書いていますが、今回は少し外れて、あるカンテレ(フィンランドの国民楽器)奏者について書きたいと思います。  クレータ・ハーパサロKreeta Haapasalo(1813年11月13日*推定-1893年5月29日)。フィンランド民俗音楽にとって重要な場所であるカウスティネンKaustinen、ヤルヴェラJärvelä村の出身で、カンテレ奏者・歌手。  そして昨日11月13日は、彼女の

    • 2014年① アイモ・メッスバッカAimo Mässbacka[draft]

      リクエストを頂いたので、この方を先にご紹介します。 ヴィムペリVimpeli出身のヴァイオリン奏者、アイモ・メッスバッカAimo Mässbacka(1935-)は、2014年に、他二名と共にMstaripelimanniの称号を授与されました。 (右端がアイモ・メッスバッカ。YLE 2014年7月8日 https://yle.fi/uutiset/3-7343828より) ヴィムペリはカウスティネンの南50km、車で40分ほどのところにある湖畔の町です。カウスティネン

      • オーランド諸島(fin: Ahvenanmaa/swe: Åland)のメスタリペリマンニMestaripelimanniたち②2016年シヴ・エクストロムSiv Ekström

        前回に引き続き、オーランド諸島出身で、Mestaripelimanniの称号を受賞したミュージシャンをご紹介します。 シヴ・グン・エリノール・エクストロムSiv Gun Ellinor Ekström。オーランド諸島マリエハムン近郊のヨマラJomala出身のヴァイオリニストです。 と同時に、過去2期に渡り、ヨマラの市政に関り、市議会議員を務めた他、南オーランド高等学校区、Jomala Energy、FAB Jomala Housingの評議員を務めるなど、社会活動にも熱心

        • オーランド諸島(fin: Ahvenanmaa/swe: Åland)のメスタリペリマンニMestaripelimanniたち①1983年オットー・シランデルOtto Silander

          先の記事で、Mestaripelimanniたちの居住地をご紹介しました。これには、先にそれらを把握していれば、かつてMestaripelimanniを生み育んだ土地で生まれ、後に続く、無名ながらもそれぞれ民俗音楽を楽しみとする音楽家たちの存在を詳らかにできるではないか、という狙いがありました。 ところで、去る8月14日(日)、フィンランド国営放送YLEで、コーカルKökarの民族音楽の昔と今を描いた、20分のドキュメンタリーが公開されました。 焦点が当てられているのは、

        • カンテレ奏者クレータ・ハーパサロKreeta Haapasaloのお話

        • 2014年① アイモ・メッスバッカAimo Mässbacka[draft]

        • オーランド諸島(fin: Ahvenanmaa/swe: Åland)のメスタリペリマンニMestaripelimanniたち②2016年シヴ・エクストロムSiv Ekström

        • オーランド諸島(fin: Ahvenanmaa/swe: Åland)のメスタリペリマンニMestaripelimanniたち①1983年オットー・シランデルOtto Silander

          Mestaripelimanniたちの居住地

          続いては、Mestaripelimanniたちの居住地についてです。 まずは、以下の表をご覧ください。表はアルファベット順です。 結構ばらばらと、色んなところにお住まいですね。カウスティネンが突出していますが、それはやはり、ペリマンニたちが特別自由に活躍できた、当地の事情が関係しているのでしょう。切磋琢磨することで、曲のレパートリーや、演奏者個々人の独自技術にも磨きがかかったのかもしれません。 なお、この居住地は、あくまでMestaripelimanniを受賞した時点の

          Mestaripelimanniたちの居住地

          フィンランド人と民俗音楽

          私が注目したのは、若者も老人も、同じ様に民俗音楽を楽しんでいるという点である。なぜこれほど幅広い年代の人々が伝統芸能、民俗音楽に携わっているだろうか。この違いはどこからくるのだろう。 フィンランドの民俗音楽教育における教育概念が、そのひとつの示唆を与えてくれるように思う。  カウスティネン民俗音楽祭の開催によって、カウスティネンが名実共にフィンランド民俗音楽の中心地となると、1974年、民俗音楽研究所が設立された。民俗音楽研究所の目的は、フィンランド民俗音楽に関してのみな

          フィンランド人と民俗音楽

          カウスティネン民俗音楽祭について④現在までの経緯

          上記のような立役者たちの功績に後押しされ、1968年7月、第一回カウスティネン民俗音楽祭は開催された。総責任者は民族音楽学者エリッキ・アラ=クニ博士。第一回フェスティヴァルは7月18日から21日にかけて4日間行われたが、そこで特筆すべきは、大勢のペリマンニたちによる行進が行われたことである。(資料29~資料29-2)サウリ・ケンタラSauri Kentala教師によって計画され、彼の兄弟のアーロ・ケンタラAaro Kentala(A.D.1920~1990)、イルマ・リウェル

          カウスティネン民俗音楽祭について④現在までの経緯

          カウスティネン民俗音楽祭について③民俗音楽復興の立役者たち

          さて、ポピュラー音楽が台頭してきた中で、民俗音楽の位置は微妙であった。ペリマンニ音楽は、19世紀にはすでに東部フィンランドにおいても一般的であり、結婚式とも結びついていたため、人々の間から消えるものではなかった。しかし、ポピュラー音楽の台頭によって、ペリマンニの家系の者ですら、それらの音楽家として、あるいはクラシックの音楽家としての道を歩んだ。 フィンランド民俗音楽は、ポピュラー音楽などの影響を受けて変化し、場所によっては、完全にその場所を譲った。 こうした流れの中、オッ

          カウスティネン民俗音楽祭について③民俗音楽復興の立役者たち

          カウスティネン民俗音楽祭について② カウスティネン民俗音楽祭の歴史

          本節では、ペリマンニ音楽の衰退とポピュラー音楽の台頭、そして、カウスティネン民俗音楽祭が開かれることで始まった復興の歴史を概観する。 a) 民俗音楽からポピュラー音楽へ  「フィンランドのポピュラー音楽は、「母体となる伝統」つまり古典音楽、民俗音楽、そしてアフリカ系アメリカ黒人の音楽の一つに解けあう中に生まれた」(ヤルカネン 1997:222)  19世紀始めに始まったロシアによる統治は、フィンランドのアイデンティティの目覚めを呼ぶと共に、帝政ロシアの一部として中部ヨーロ

          カウスティネン民俗音楽祭について② カウスティネン民俗音楽祭の歴史

          カウスティネン民俗音楽祭について① カウスティネンKaustinenとは

          フィンランドの民俗音楽祭で、最も大規模かつ人気がある音楽祭、それがカウスティネン民俗音楽祭Kaustinen Folk Music Festival (Kaustisen kansanmusiikkijuhlat)です。 7月第三週の日程で設定されたこの音楽祭は、1968年第一回フェスティヴァル以降、大勢の音楽家、聴衆に愛され、すでに50年以上の歴史を重ねています。 残念ながら、2020年はパンデミックのため中止となりましたが、2021年は7月12日(月)~18日(日)の

          カウスティネン民俗音楽祭について① カウスティネンKaustinenとは

          2017年受賞者 Veikko Ilmari Kuivalaの訃報に寄せて

          訃報が飛び込んできたので、先に書こうと思っていた歴代のMestaripelimanniの方々や、「結婚式とペリマンニ音楽」についての記事を保留して、この方について書いてみようと思います。 2017年、カウスティネン民俗音楽祭史上最多となる、6名の音楽家がMestaripelimanniの称号を授与されました。 その内の一人が、スプーンズpuulusikatの演奏家として唯一のMestaripelimanniであり、第一人者でもある、ヴェイッコ・イルマリ・クイヴァラVeik

          2017年受賞者 Veikko Ilmari Kuivalaの訃報に寄せて

          参考文献一覧

          過去3つの記事で用いた参考文献の一覧です。 webサイトはほとんどリンクが切れてしまいました。文献は残っていますので、原典に当たられたい場合はご連絡ください。 『文献目録』 参考文献 小野寺誠 1987 『あの夏フィンランドで』 日本放送出版協会  1994 『白夜の国のヴァイオリン弾き』 講談社文庫  カイ・ライティネン 1993 『図説フィンランドの文学 叙事詩『カレワラ』から現代文学まで』 大修館書店 カレヴィ・アホ、ペッカ・ヤルカネン、エル

          参考文献一覧

          フィンランドの「西」の音楽文化について

          ※以下、私自身の卒業論文 (三上紘司 「フィンランド民俗音楽の未来性 - カウスティネン民俗音楽祭を通じて -」『卒業論文集-ヨーロッパ地域文化学-2002年度』 京都文教大学 2003) から抜粋します。 b) 西部の民俗音楽 ボスニア湾岸沿いのオストロボスニア地方、フィンランド南西部のヘメ地方、ウーシマー地方などを含む「西部」フィンランドは、1323年の国境規定によってスウェーデンに組み込まれて以来、常に文化変容の波にさらされていた。言語の面ではフィンランド語に換わ

          フィンランドの「西」の音楽文化について

          フィンランドの「東」の音楽文化について

          ※以下、私自身の卒業論文 (三上紘司 「フィンランド民俗音楽の未来性 - カウスティネン民俗音楽祭を通じて -」『卒業論文集-ヨーロッパ地域文化学-2002年度』 京都文教大学 2003) から抜粋します。 ■音楽文化における東西の差異 前節で述べた政治的変移の結果、フィンランド国土の東西において文化に差異が生まれ、音楽文化においても、その差異は顕著に現れた。東西の境界線を明確に規定することは出来ないが、1323年に規定された国境線をほぼ音楽文化の境界線とみなすことがで

          フィンランドの「東」の音楽文化について

          フィンランドの「東」と「西」の文化の違いについて(歴史的背景)

          ※以下、私自身の卒業論文 (三上紘司 「フィンランド民俗音楽の未来性 - カウスティネン民俗音楽祭を通じて -」『卒業論文集-ヨーロッパ地域文化学-2002年度』 京都文教大学 2003) から抜粋します。 ■フィンランド民俗音楽の歴史  フィンランド民俗音楽は、その様式や脈絡の点から、二つの時代に大別することができる。また音楽以外でも、国土の東西での文化的差異が指摘されることが多い。その明確な線引きは出来ないが、「西部フィンランド」といった場合はボスニア湾岸Gulf

          フィンランドの「東」と「西」の文化の違いについて(歴史的背景)

          1978年 Yrjö Veikko Turja

           1978年のメスタリペリマンニmestaripelimanniは、前回、前々回の記事でご紹介した2名に加え、このユルヨ・ヴェイッコ・トゥルヤYrjö Veikko Turja(1899年2月20日-1983年7月11日)の3名です。  少し更新が遅くなったのは、この方、何が受賞理由になったのか今一つ合点がいかなかったからです。メスタリペリマンニmestaripelimanniの称号は、「伝統的な技術や豊富なレパートリー、その他の優れた業績によって、フォークミュージックの趣

          1978年 Yrjö Veikko Turja