宮沢賢治さんからの学び~岩手県花巻市・宮沢賢治記念館~
宮沢賢治館
宮沢賢治記念館には、何度か訪れていますが、今回気になったのはこの展示です。
農民芸術概論綱要
農民と芸術、なんだろうね。
そう思って読み始めた展示だったけど、帰りには一冊の本を購入しました。
それは昭和50年に発刊された『宮沢賢治農民芸術概論綱要』。
令和4年に第17版が発刊されたと記されています。
略年譜が付いても27ページの薄い冊子ですが、ずっしりと重みの感じられる内容だと思って購入しました。
全文が無料で読めるそうですよ。
農業と芸術
それで、農業と芸術。
なぜ農業と芸術なんだろう。
芸術じゃなくて技術なのではないかな。
そんなことが思い浮かびました。
農業に多くの技術が導入され、それにより生産性が向上したことは事実です。
でも農業や農家は豊かになったのでしょうか。
一時的な豊かさは享受出来たのかもしれませんが、それが続けられているのかどうか。
果たして、技術の導入が人々の幸福に繋がっているのか、なんてことを考えさせられました。
生産性は向上したものの全体系としての利益が優先され、小売りや流通過程で過度な利益のために、農業従事者に負担となっているのではないか。
豊作であることが、価格の低下につながる世の中は、幸せなことなのだろうか。
コミュニティでの繋がりでお互いに助け合っていた時代もありました。
豊作を祈願し、豊作を祝う祝祭は、まさにそんな時代に生まれたものではないかと思います。
宮沢賢治さんと農業
1926年に「農民芸術概論綱要」を書き、講義を行い、実践しようと試みたのが宮沢賢治さんです。
宮沢賢治さんは、商家の長男として生まれ、農業とかかわる必要のない環境に育ったのですが、盛岡高等農林学校(現在の岩手大学)に入学し、鉱物学や農業について学びました。
さて、農業芸術概論でなく、農民芸術概論なのか。
そこは技術が導入された農業ではなく、農業の主体である農民としたのではないかと考えました。
1926(大正15)年4月に、宮沢賢治さんは農民として生きる決意をして、花巻郊外、北上川に近い下根子で新規就農をしました。
30歳の時のことだそうです。
自給と自立を目指す農業実践。
農民芸術を基軸とした農村社会の内面的向上を目指しましたが、1928(昭和3)年8月までの短い期間だったそうです。
病気などにより中断を余儀なくされ、わずか2年4ヵ月の農業実践になりました。
さらに数年後に、宮沢賢治さんは37年の短い生涯を閉じています。
概論綱要
農民芸術概論綱要から学ぶべきこと。
いまの時代だからこそ、農民芸術概論綱要から学ぶべきことがある気がしてなりません。
いい文章に出会えた幸せ。
では。