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無理矢理にでも文章を書き続けたことに対して思うこと

私が生まれ育った前橋市は詩人・萩原朔太郎の故郷であることから「水と緑と詩のまち」と称されています。
市が主催する作文や詩のコンクールも多く開催されており、私は幼いころから文章を書くことに慣れています。でも、「慣れていること」と「得意であること」は近しいようで近くない。それに加えて「好き」という感情の部分の話を始めると遠く離れていってしまうような気がします。
私は文章を書くことに慣れてはいるけれど、得意なのか、好きなのかもわかっていません。

昨年、フリーランスになってからなんとなく新しいスキルが欲しいなあと思い始め、2023年4月からTABIPPO主催のPOOLOJOBで1期生として、トラベルクリエイター講座を受講しています。
それは、一種の実験でした。果たして3ヶ月、文章を書いたことで何か変化はあったのでしょうか。

いい文章が書けるようになったのかは正直、分かりません。ただ、無理矢理にでもアウトプットすることで「書く」という行為に抵抗はなくなり、執筆時間が格段に早くなりました。
また、自分の考えをまとめることによって「こんなことを思っていたのか」と振り返ったり、新しい考えにたどり着いたりすることができました。

私はすでにあるものを改善していくことは得意だし好きなのですが、0から何かを作り出すことが得意でも好きでもありません。
そんななか、与えられたテーマに対して毎週2本、ツライツライと言いながらも記事を書き上げたことは筋トレをするような感覚でした。時に、筋肉痛になりながらも、創造性を鍛えられたいい経験になりました。

上手に書けなくても、長い文章が書けなくても、継続して量をこなしていく。創造することはそういうことなのかもしれません。

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