もう会わないかもしれないあなたへ
「あんた、そんなんじゃないよ」
友達だった人が少し怒りを滲ませながら言い放ったこの言葉は、私をとてもどきりとさせた。
いまやあたりまえに呟かれている「自己肯定感を高めよう」とか「自分を愛そう」とか「皆かわいいよ」という自分を認める考え方がまだ薄かった10年前ほどのこと。
私は典型的な“自虐女”だった。
傷つきたくないから先手を打って「私なんかさー」「ブスだから」「モテないしね」と言って自分を守っていた。
そうしなければ生きていけないくらい自信がなかったし、誰かに大切にされていると思えたことがなかった。
自分には価値がなくて、それでも居場所をつくるためにそういう、今思えば相手を困らせたり、「そんなことないよ」と無理に言わせてしまうようなことばかり発していたのだ。
学生時代からモテなくて、10代の頃から可愛い子との扱いの差を急激に感じて、仕事をすれば外見なんて関係ないと意気込んで社会人になったけれど、ここでも可愛い子との明らかなに違う扱いを受けて愕然とした。
ならばとにかく仕事で成果を出せばとがむしゃらに働いて、「顔はイマイチだけど仕事はできるな」なんて上司に言われて複雑な気持ちながらもどこか喜んでいたりもした。
だから、とにかく自分を下げて下げて、「私はちゃんとわかってますよ。わきまえてますからブスとか面と向かって言わないでくださいね」と思っていたんだと、今ならわかる。
そして、どこかで「いや、君はかわいいよ。美しいよ」と言ってほしかった。
自分を否定することで肯定されたかった。
認めてもらえるような言葉を引き出すために自虐をしていたのかもしれない。
そんな癖が板についてきた20代後半の頃だったと思う。
学生時代からの友達と飲んだ帰りに歩いているときに、何と言ったかもう忘れたが私がきっとまたいつもの自虐を、いつもよりきつめにしたんだと思う。
その時に「あんた、そんなんじゃないし!」と、友達は言った。
他にもそんな風に自分を下げるのやめなとか言われたような気がするけれどうろ覚えだ。
この言葉だけを鮮明に覚えている。
とても驚いたと同時に私はとても嬉しかったんだと思う。
あぁ、やっと私のことを肯定してくれる人がいたんだと。
あえて言わなくたって肯定してくれていた友達はいたと思うけれど、ばかものな私はそれに気付くことができなかったのだ。
だからはっきりとそう言葉にしてくれた友達にはとても感謝している。
私の甘えに、弱さに、正面から怒ってくれた。
そんなことは40歳に近付く今、そうないことだとわかる。
自分がそう行動することのむずかしさもよくわかる。
友達は単にイライラしていたのかもしれない。
でも私は、“自分の好きな人を傷つけている人を怒った”んだと思っている。
それから少しずつ自虐をやめた。
「私はちょっとばかり美人で魅力的」と思うようにして、そう振る舞うようにしている。
自信を持って男の人と話すこともできるようになった。
見た目だけが大事な訳じゃないけど、見た目も大事なもののひとつだ。
自分の自信をつくるものの大事な大事なひとつ。
数年前から友達とはあまり気が合わなくなって遊ばなくなった。
10年以上の仲で死ぬまで仲良しだと思っていたから自分にも相手にもびっくりした。
悲しみももちろんあるけど、この年になると人間関係というのはどうなるかなんて全然わからなくて確かなものなんてなくて、それでもただその一緒にいた時間がとても大切だということ。
もしかしたらまた縁があるかもしれない。決定的な何かがあったわけではないし。
そう思って、彼女の言葉と彼女と過ごしたたくさんの時間を慈しみながら、ときに人を傷つけて傷つけられても私は私の人生を不格好に歩いて行くだけだ。
私にとっての彼女のようなことが、誰かにできたらいいなと思いながら。
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