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文章を書くのをパッタリと辞めた4年間


私にとって「本」とは、ありえない世界へ手軽に行ける魔法のアイテムであり、誰もいない家で一人過ごす事実を忘れさせてくれた、親のような存在でもある。

保育園の頃から祖母に車を出してもらい、土日は図書館に入り浸っていた。

魔法や怪盗、そして探偵など、ありそうでありえない。そんな世界が大好きで、いつも借りれる上限冊数を超えてはなくなく棚に戻していた。

特に大好きだったのが、はやみねかおるさんの「夢水清志郎」と「怪盗クイーン」シリーズ。彼が描く「赤い夢」の中に、私は今でも居続けており、これは一生覚めることがないだろう。

彼の本に限っては、あとがきまで舐めまわすように読んでいた。そこで、彼が本を書き始めた理由が「小学校教師として本嫌いの子供に本を薦めるうちに自分でも書き始めるようになった」と知り、要所要所に散りばめられた子供が飽きないよう読み進められる工夫を見つけてさらに惚れ込んだ。

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そんなこんなで本が身近だった私は、ごく自然に小説を書くようになった。

あえてきっかけを言うのであれば、当時少女漫画の「りぼん」が大好きで、漫画家になりたかったのだが、脳内のイメージを絵で表すには、画力と時間が足りず、一旦描きたい描写を文章に書き起こすようになったからかもしれない。

小学生の頃はネットの「小説掲示板」に長編小説を投稿し、中学生、高校生の頃はジャンルは様々だったが、自分でサイトを作っては小説を更新していた。

どれも授業中にルーズリーフいっぱいに物語を書いて、家に帰ってはパソコンで打ち込むという繰り返し。

よく作家さんがインタビューで「キャラクターが勝手に動く」と言うが、まさにその感覚で、自分が作り出した登場人物が勝手に話し始め、勝手にストーリーが進んでいくあの感じがたまらなく好きだった。

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しかし、大学に入ってからの4年間、文章を書くことをパッタリと辞めた。

単純に2つのサークルとバイト、実家から大学までの行き来に疲弊したことで、本を読むことが減ったのが原因だった。

本を読まなくなったことで「想像力」が衰え、相手を思いやることや、自分を信じる力がなくなっていったように思う。そんな中で、何かを生み出すことへの意欲はサッパリと消えていたし、何も生み出さない自分には価値がない、とさらに悪循環に陥っていた。

複業をしている今なら、あれだけの時間があったのに何をやっていたんだ、と思ってしまうが、あの時の私はそんなこと知りもしないのだから仕方がない。

この4年のブランクで、本を読むスピードが少し遅くなってしまったが、文章を書く楽しさはnoteのおかげで少しずつ取り戻してきた。

ネットの世界ではとにかく「発信、発信」と言われるけど、そんなことは一旦横に置いておいておこうと思う。

学生の頃のように、とにかく自由に、自分にあった方法でこれからも物語を表現していきたい。

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さどまち
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