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30代の妊娠期間、体調不良の末に思うこと
妊娠8ヶ月に入った。第二子である。
覚悟はしていたが、上の子がいる中での妊娠は後期になればなるほど辛くなってきた。
日々、自分の感情と折り合いをつけながら過ごそうと試みているが、徐々に難しくなってきたので今回も文章に頼ろうと思う。
30代、妊娠期間、「人と話す」ことへの欲求不満
30代に入るとどうしてもライフステージがそれぞれ変わってくるもので、友人と「共通の話題」を話すのが難しくなってくる。
育児が始まると特に顕著で、妊娠期間中も子育ての仕方も人それぞれ。
そしてその前に、不妊治療をしているかもしれない、流産の経験があるかもしれない、そもそも子供を望んでいないかも。
と、考慮していくことが多くあり、全てセンシティブな話なので無理に聞いたりもできない。知らず知らずに自分の言葉が相手を傷つけていないか考えていると、どんな会話をすればいいか分からなくなってしまっている自分がいた。
特に今は子供中心の生活かつ、基本親バカなので子供の可愛さの話をついついしてしまうのだが、いつも話をした後に「やってしまった……」と後悔している。他人の子供の話なんて、名付け親です!みたいな特別な思い出がない限りは別段聞きたい人なんていないだろうから。
そうなるともう「家庭」という最小単位でいるのが安全圏なので、こもってしまいがちになるのだが、夫と子供の話をすれば「本当に可愛いよねえ……」と2人で親バカ全開の会話をして終わるだけだし、
なにか思うことがあって聞いてもらっても、いつも同じような話をしているので夫も生返事になりがちで、もうちょっと相槌打ってほしい、最後まで聞いてほしい、みたいなことが増えていく。
するとやはり安全圏の外の人と話したいという欲求が出てくるのだが、最初に書いたように、様々な状況や思想が入った30代同士となると遠慮が遠慮をよんで「以下ループ」となり、結局家に引きこもってしまうのだ。
会社を辞めて、自宅で1人で完結できる仕事になってからというもの圧倒的に「人と話す」ということが減った。
口下手がさらに悪化し、人と会うことのハードルがどんどん上がっていく。
人と話すといったら趣味のハロプロのライブに友人と行く時が唯一といっていいほどだったが、それも妊娠期間になるとパタっとなくなってしまった。
私は今、猛烈に「人と話す」という欲求を満たせていない。
体の不調は全ての希望を打ち砕く
とはいっても、妊娠後期になるとほぼ毎日体調不良なので、話すといったら「体が辛い」「眠い」「早く終わってくれ」ということになりそうで、これに人を付き合わせるにはあまりにも無駄な気がする。
昨年の12月に肺炎になり、1ヶ月ほぼノンストップで咳をしていたのだが、体調不良が続くと将来のことも、仕事への意気込みも全て消え失せてしまうことに気づいた。
1月に体力回復し、「よっしゃ、仕事頑張るぞ!」と思っていたら妊娠後期に入り、床に落ちているものを拾うだけで息切れをする毎日。
また全ての意気込みを失いかけているところである。
「良い親でありたい」という願望
今、1番失いかけていることでいうと「良い親でありたい」という意気込みかもしれない。
私自身の家庭が、お世辞にも「いい家庭」とは言えず、体調不良のたびに顔を出しては心の傷をえぐっていく。
子供の時のことは極力思い出したくないし、地元にも帰りたくはない。
3歳の長女には「そんな心の傷を負わせたくない」という気持ちから、日々言動には気をつけているのだが、自分がされたことというのは選択肢に出てくることがあり、語気が強くなったり、反射で手が出そうになることもある(といっても絶対出さないけど。)
そんな選択肢がある自分にガッカリするし、この自分と一生向き合わないといけないのかと絶望することがある。
体調不良が続くと、そういった選択肢が出てきては落ち込むし、今まで上手くできていた対応も難しくなる。
それを感じとった長女自身も心が揺らいでしまっているようで、保育園での様子がいつもと違うことを保育士から聞いたり、今まで感じたことのない「イヤイヤ」の洗礼も受けた。
そのたびに、「私がやっている対応って間違っているのかも?」とさらにネガティブになっていく。
私がなりたいと思っている「良い親」の不正解は分かっている。
でも、なにが「正解」なのかは日々わからないまま育児は進んでいく。
男性とか女性とか、なくなればいい。
第二子が「男の子」だった。
それは、自分の中ではかなりの衝撃な出来事だった。
親が離婚し、女しかいない家に育ったというのもあったので、「男の子」が家庭の中にいるというのが想像つかないというが大前提として、私にはそもそも男性に苦手意識がある。
小学生、中学生の時のウェイ系の男子の「からかい」は怖かったし、高校生に上がってから遭遇する変態おじさん、社会人になってからはスカートの中を盗撮してきたおじさんなどなど、女性よりも「男性」に嫌な思いを持つことが圧倒的に多い人生だった。
主にX(旧・Twitter)にいる私は日々行われる「男叩き」「女叩き」の論争を目にしては、その憎しみの炎が沸々と渦巻いてしまうほどにはトラウマがあった。
そんな私が「男の子」を可愛いと思えるのか?
そもそも他人の女性に迷惑をかけないように育てられるのか?
と妊娠中期にかなり不安になったことを覚えている。自身の中にこんなにも、偏見と差別があることにも落ち込んだりもした。
しかし、後期に入ってからエコー写真を見て普通に「かわいい」と思えたのだ。性別は関係なく、生物として可愛いと思えた。
それは私にとってはかなり大きな一歩のような気がしている。
また、妊娠中期にXよりもInstagramを見ることが増えたことで「男叩き」「女叩き」の論争を見ることがグッと減った。それも、1つの要因かもしれないと思っている。
顔の見えない人たちの経験や言葉を、自分の経験のように捉えて、なかった憎しみを自身で生み出していた可能性が少なからずある。
第二子の育児を通して、「男」とか「女」とかではなく、その子自身の個性を見て対応できる親や大人になりたい。今はそう思っている。
文章に書き出すことの素晴らしさ
ここまで書いてみて、やっと自分の中でグズグズとしていた気持ちを整理することができたように思う。
睡眠不足、体調不良による精神の不安定さがここ最近あったのだけど、やっとスッキリすることができた。
文章のデトックス効果、半端ない。
ここまで読んでいただいた方は、本当にありがとうございました。
残り出産まで60日ほど!
母子ともに元気で無事に産まれるかなんて最後の最後まで分からないけど、出産頑張ってきます。
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