人と違う道を歩いてもいいんじゃない?
みなさん、お元気ですか?
秋の日は釣瓶落としと言うとおり、日没が早くてすぐに夜になりますね。
会社員時代は会社が終わって外が真っ暗だと損した気分だったのですが、会社員でない今は長い夜の時間を楽しんでいます。
夜に包まれていると、自分のしたいことに集中できますね。
創作の秋!!
…って別に何もつくってないけど・・イモ食って長く寝てる。笑
さて、今日のテーマは「人と違う道を歩いてもいいんじゃない?」です。
そもそも人と違う道ってなんだ?と思いますよね。
私が言う「人と違う道」というのは、
あなたが「一般的な人生を思い浮かべてください。」と言われた時に思い浮かぶイメージありますよね。
それではない道(人生)のことです。
「ひと」って漢字で「他人」とも書きますよね。そう、タニンです。
つまり、他人と違う人生を歩んでもいいんじゃない?ってことです。
私は不妊治療をしても子どもを授からなかった時、ものすごく落ち込みました。
自分が不幸な気がして、世の中を恨みたい気分にもなりました。
たぶん、大好きで授かりたかった赤ちゃんが授かれなかったことで、自分が世の中から拒絶されているような。
さらには人と違う人生になることに対する悲しみとか挫折みたいなのを感じていたんですね。(ずいぶん昔です)
で、ちょうどLGBTQの話題をニュースで見たので、勝手に共感していました。
で、子どもがいない先輩にその話をしたんです。
「LGBTQの人達も私と同じ気持ちかも」って。
そしたら、先輩にこう言われました。
「それって全然違うと思うよ。そんなこと言ったらLGBTQの人に怒られるかもよ。彼&彼女たちはもっともっと複雑な思いしてると思うよ。」
その一言を聞いて、はっと目が覚めた気持ちになりました。
そして自分の無知、世間知らずさに恥ずかしくなりました。
この感覚は、「あの人たちよりマシだからいい」とか「自分より不幸な人がいるんだから」みたいなことじゃありません。
自分の認識の甘さや、只々辛いという気持ちを振りかざしていじけている子供みたいな自分に気づいたという意味で、はっと目覚めた感じです。
そして、迫害されてきたLGBTQの歴史の中で、世間に対して自分の意見をぶつけている勇気ある人達と、こんな自分を一緒にしていたのが認識不足だったと思いました。
それからは、ちょっと憑き物が落ちたように「自分かわいそう」という思いが薄れ、意識も変わっていきました。
みんなそれぞれ、いろんなことがありながら生きているんだから、私が子供を授からなかったことだって、古代からよくある人生の一部かもしれないなって。
そうやって自分を長い歴史の中の一部として考えてみたら、たぶん私も歴史の本流の端っこあたりに浮かぶ木の葉程度に、流れに乗ってるんじゃない?
てか、みんなその程度じゃない?と逆に思えてきました。
どんなに人と違う人生を歩もうと意識しても、巨大な世界から見れば似たり寄ったりの人生かもしれない。
地球住み、人間、日本人、女性、現代人。
それだけでずいぶん同じかもしれない。
だから、人と違う人生だから何だかんだと思わなくてもいいのかもしれない。
人と比べる必要もないのでしょう。
結局、自分の人生しか生きられないんですから。
自分の人生は人と同じじゃなくてもいいんじゃない?
そもそも違う人生だもの。