新年の抱負のような何かと二人の先達
仕事をリタイアして隠居生活が5年めになるが、特に抱負というようなこともない。隠居生活の先達といえば、「方丈記」の鴨長明や、永井荷風をあげることができるだろうか。もちろん、二人の境涯には遥かに及ばない。
それでも、鴨長明には微かに共通点もある。彼は庵に隠居しながら、琵琶と書物(経文かな?)で無聊を慰めたようだが、自分も趣味はクラシックギターと読書である。読書というと履歴書に書く趣味で無難とされていたから有名無実の趣味と思われるかも知れない。ただ、私の場合は「読書メーター」で記録をつけている。
昨年の間に読んだ本は203冊で、ページ数にすると49617ページだから、ざっと週に4冊、毎日136ページほどを読んだことになるのだ。数の上では、一見凄いなぁと自分でも思ったけれど質の上ではどうだろうなぁ。
大部だったけれども中身も濃い読書だったのは、塩野七生さんの著作「ローマ人の物語」、「ギリシャ人の物語」、「海の都の物語」である。出版されたのは30年くらい前だから今ごろ…ではあるけれど。
他に歴史関係では、現代語訳だが「日本書紀」を通読したこと、現代につながるヨーロッパの歴史として「英仏独三国志」を読んだことは有益だった。政治・経済に関連する図書では「デジタル資本主義」、「新しい封建制がやってくる」、「ほんとうの日本経済」が今後の世の中の動きを考える材料になった。
だけれど、その他の多くの本は文芸というジャンルのものがほとんどだが、内容を一々憶えていない。結果的に暇つぶしになっているのだが、まあ仕方ない。暇がつぶれただけでも著者にはお礼を言うべきところだろう。それでも江戸川乱歩は比較的短編の作品ごとに《青空文庫》で閲読できたので読書メーターのレビューも、それら作品ごとに記したら後でレビューを読み返すだけで読後感が甦る。無為に時間を過ごしたわけではないと思えることがありがたい。
もう一つの私の趣味はクラシックギターである。かれこれ今年で15年目になるけれど、上達が遅くて下手の横好きなのによく続いているものである。クラシックギターの歴史の中でフランシスコ・タレガという19世紀の終わりごろに活躍した巨匠がいる。近代ギターの父とも言われる人だけれども、この人の作品を一昨年からレッスンで教わってきた。
この人が書いた「アルハンブラの思い出」という作品はギター愛好家以外にもけっこう知られていて私自身も10年くらい愛奏している。去年は、タレガの作品の中で「アルハンブラの思い出」と並んでよく知られている「アラビア風奇想曲」を教わってレパートリーに加えることができた。個人的に達成感を覚えた。
でもね。クラシックって弾くの苦手なんだよね〜。タレガって、後期ロマン派?に括られるのかな。曲想が優しくてロマンチックで美しいのですよ。だから、技術的には易しくなくても頑張って練習できたし、教わった後も愛奏しているわけですが、バロックや古典派の曲はなかなかそうは行かない。古典派のフェルナンド・ソルの曲も好きなんだけど練習するのがしんどいので諦めましたわ😂。
タレガの曲には、まだグランワルツとかスエーニョ(トレモロ)とか、弾けるようになりたい曲が残っているのだけれど、今年はギター向けにアレンジされたポピュラー音楽を新しくレパートリーに加えて行きたいなと考えているところ。
タレガばかり追求して煮詰まっても困るし、自分はけっこう歌のようなインスト曲が好きなようなので。マヌエル・ポンセの「エストレリータ」は、20世紀に書かれたクラシック音楽に分類される歌曲なんだけれど、ギター向けのアレンジを3年前にレッスンで指導していただいた。映画「ディア・ハンター」のテーマ曲の「カヴァティーナ」とか、やはり映画音楽の「11月のある日」などは、5年前に指導いただいて今でも愛奏しております。はい。
かように、もともと歌のようなインスト(ギター)曲が好きなんだけど、一昨年からヴォーカルを教わるようになって、そちらの方向に傾斜したかも知れない。ヴォーカルの先生からも時々、ギターで弾き語りできるようになるとよいですね、と勧められる。
ん?でもね。私のようなオッさんがギターで弾き語りというとフォークソングの懐メロかオリジナルなんだよね。洋楽を弾き語りする人ってたまにいるけどお洒落にピアノなんだよね。洋楽のギター弾き語りかぁ。なんかハードル高そうだな😅。
そもそも弾き語りって、人様の前に出てご披露するのが前提の芸?じゃないのかな?クラシックギターって、必ずしもそうではないのですよね。教室の生徒さんにも発表会には参加しない人は多いし、自分一人の楽しみとしてギターを愛奏することはよい趣味です。ギターはコード楽器なのでソロ演奏で完結するし、私なんかの演奏を聴くよりはプロのギタリストの演奏を聴いて欲しいと思うくらい。それでも私が教室の発表会には原則参加しているのは、人前で演奏することも練習の一環だと考えているからに過ぎない。
それはそれとして、昨年はクラシックギターやクラシック音楽のコンサートをはじめとして、ジャズなどのポピュラー音楽のライブにも殆ど足を運ばなかったなぁ、とそこは少々残念。クラシックギターやクラシック音楽のコンサートは勉強モードで聴いてしまうし、ジャズは自分の中にそもそもセンスがないことに気づいてしまったという…😂。
そんなこんなで、比較的引きこもり気味になってしまった昨年だけれど、今年はもう少し賑やかしいところにも出かけてもよいかも知れないと、もう一人の隠居生活の先達である永井荷風を思い出す。一昨年になるけれど「永井荷風 ひとり暮らしの贅沢」という新潮社から出版された本を読んで、なんだか羨ましいかもと思ったことがあった。
荷風は「濹東綺譚」が有名だけれど、「断腸亭日乗」という日記文学の作品もある。新潮社の本はそれを基礎資料としながら、荷風の暮らしぶりを、彼が好んだ道具・食・街・花を紹介しながら探ったもの。荷風の遺品など写真が多くて興味深い本だった。
荷風は結婚を二回した末に余生を一人で過ごした人だった。鴨長明は出世を親族に邪魔されて世をはかなんで隠棲したのだが、荷風は一人暮らしというだけで、美味いものを食べ、劇場の踊り子たちにちょっかいを出して人生を楽しんでいた点はかなり異なる。
どちらがよいとも言えないが荷風にしても、誰にも最期を看取られずに一人で往生することを望んで、実際にそのとおりの辞世となったのだった。文化勲章を受賞した時は、その賞金で踊り子たちともっと遊べると喜んだのに、実は「エラい先生」だったことがバレたら踊り子たちからは敬遠されてしまったそうだ。時代の違いとは言え、ユーモラスな話である。
昨年は鴨長明のような孤高の趣味?に偏った隠居生活だったけれども、今年は少し永井荷風を見習えるところは見習おうかな、と取り留めのないことを考えるのでありました。