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「ごまかさないクラシック音楽」岡田暁生・片山杜秀

 クラシック音楽および音楽家を政治的、社会学的な観点から縦横無尽に率直に論評した対談本。興味深い内容で、啓蒙主義的な観点から、特に音楽の父として再発見されたバッハと市民向け音楽の創業者であるベートーベンについて深く語られている。その代わり後代のロマン派の評価は相対的に低いものの、様々な観点から分析されている。
 ただし、現在のクラシック音楽の退潮傾向から、現代社会の行く末を案ずるのはインテリ特有の余計な心配な気もする。そもそも民衆の大方にとってクラシック音楽は直接的には関係がないのだから。
 以下、面白いと思ったところを簡単にかい摘んでおく。


バッハ(1685年〜1750年)

 バッハは1750年に没した後に、しばらく忘れられていたという。若き日のメンデルスゾーンがバッハの遺作「マタイ受難曲」を1829年にベルリンで上演したことによって「再発見」されたことは歴史的事実である。この再発見の背後にあったのはロマン主義とせめぎ合っていた近代啓蒙主義の精神だと本書では述べられている。
 バッハに見られるフーガやコラールの<みんな一緒に的な多声音楽>はプロテスタント倫理に支えられた近代市民社会の平等主義と産業社会の圧力に整合的ではないか、著者は言う。そう言われると近代の理性がバッハを再発見したのかも知れないという気がしてくる。
 おかげでバッハは「音楽の父」と位置づけられることになったのだが、著者は反面、人類が滅亡した後の世界に流れていてもおかしくないのはバッハの音楽だともいう。人間が滅んでも、人間理性が認識できる神の創りたもう秩序は永遠なのであろう。
 余談が紹介されている。音楽大学のピアノ科の学生でバッハを好むのは少数派であり、圧倒的にショパンが人気だそうだ。バッハを好む学生は、バッハの対位法って面白い!と感じ、アルバイトには家庭教師を務めるような頭脳派が多いイメージだそう。対して、ショパン好きの学生は、この曲いいよねぇ〜と和声の響きにうっとりするとか。超余談だが、私も自分でクラシックギターを爪弾く時は、バッハよりもフランシスコ・タレガである。

モーツァルト(1756年〜1791年)

 モーツァルトは1789年に勃発したフランス革命の2年後に没したから、未だ宮廷社会の中で生きた人だった。彼の音楽は空に漂う雲のような浮遊感があるが、著者によると「音楽史上初めての根無し草」で本拠地をもたず各地を転々とした点は近代の音楽家の先駆けとも言えるそうだ。
 たしかに、18世紀の音楽家であれば、貴族等の庇護を得ながら、活動拠点に定住するのが通例だったと思われる。たとえば、バッハの場合には、18歳の頃にアルンシュタットの教会のオルガン奏者として就職してから、ライプチヒの教会の音楽監督のような地位について亡くなるまでに、数か所を経ているが、都度、諸侯の宮廷などに活動の拠点を得ていた。
 対して、モーツァルトは父がザルツブルグで職を得ていたこともあってザルツブルグで活動を始めたが25歳の時に、縁あってウィーンに定住を決意する。以降、フリーの音楽家として演奏会、オペラの作曲、レッスン、楽譜の出版などで生計を立てるようになった。根無し草とされる所以である。
 根無し草になったのには、もしかすると幼少の頃から、彼の才能を宣伝したかった父親に連れられてイタリアやオーストリアに巡業を行った経験も影響しているのかも知れない。彼は、あの時代には珍しく核家族で育ったことも特徴の一つだと著者はいう。父親はかくのごとく、ステージ・パパでありイチローやタイガー・ウッズの父親も顔負けらしい。
 根無し草だったり、核家族で育ったところは近代的でありながら、生きた時代は貴族社会の絶頂期だったので過渡的、あるいは中途半端と言っているようにも読める。

ベートーヴェン(1770年〜1827年)

 言わば本書の真打ち・ベートーヴェンである。彼はガサツな田舎者だが、貴族ではなく市民階級を市場に、クラシック音楽業界を一代で築いた偉大な創業者であるとされる。クラシック音楽はベートーヴェン株式会社であり、彼の音楽は右肩上がりの時代に相応しく、後世の音楽家にとっては、乗り越えられない偉大な父親なのだと著者は言う。
 音楽の内容からしても後期の作品についてはロマン派の先駆と捉える向きもあるし、私自身はあまり聴かないけれどブラームスと比べると、乗り越えられない偉大な父親に喩えるのはわかる気がする。そもそもコンサートとは音楽家の新作発表の場であり、バッハが没後に忘れられたのも、それが一因だと思われる。ところが、ベートーベンが没した後に彼の遺作の再演を臨む声が絶えず、現在のようにコンサートで過去の作品が演奏されるようになったらしい。
 さて、余談である。日本でベートーヴェンの交響曲第9番が普及するきっかけとなったのは第一次世界大戦後に、ドイツ人捕虜に寛大な扱いを行った板東俘虜収容所で彼らが演奏したことがきっかけだという。その美談はさておき、この曲の演奏が年末恒例行事になったのは昭和の高度成長期のこと。楽団が多くなったのと並行してアマチュア・コーラスが流行りだした。その結果、アマチュア・コーラスの人たちはノーギャラでチケットの販売までしてくれたから第九が楽団の定番のドル箱になったというのが裏話である。

ロマン派(偉大なベートーヴェンの後裔たち)

 ロマン派は1800年代初めから1900年くらいまでの約100年のクラシック音楽のいわば試行錯誤の時代。偉大な創業社長だったベートーヴェンの後を継いで、先代の事業を発展させねばならないが上手く行かないから音楽家たちは悩んだ。更にフランス革命に収拾がつかなくなった末にナポレオンが大暴れした後始末をしたウィーン体制以降は反動の時代になり、音楽は個人の内面表現に逃避した。
 なるほど、ベルリオーズが幻想交響曲を書き上げたのは1830年4月のことだったが、彼の国であるフランスではウィーン体制下の1815年に王政が復古し、ルイ18世が言論弾圧など反動的な政策を実施して、1830年に市民が再び「7月革命」を起こしたことと符合するのかも知れない。
 著者が語るには、フランス(革命と反動)・国民軍・軍楽隊はロマン派音楽の地下水脈とのこと。鉄道の発達による観光エキゾチシズムも、もう一つの要素とのこと。各国の大ホールを巡るコンサート・ツアーもこの時代の産物だった。
 そして欠かせないのが「命がけの愛」もとい「バカップル」だそうだ。クラシック音楽がポピュラーに近寄って来たような気もするが、「バカップル」もとい「命がけの愛」もベルリオーズの幻想交響曲と符号するなぁ。

 かように面白い本だったので興味をもたれた方は、一読をお薦めしたい。

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