災害とデジタルの30年
2025年1月16日(木)のNACK5『Good Luck! Morning!』内「エコノモーニング」では、こんなお話をしました。
先日1月1日は能登半島地震から1年という節目でした。そして明日1月17日は、1995年に発生した阪神淡路大震災から30年の節目を迎えますね。今日は、「災害とデジタルの30年」というお話をしたいと思います。
はじめに少しだけ思い出話をしますと、30年前、私は高校3年生でした。1月17日の朝は、大きな地震が発生したというニュースをテレビでちらっと見てから武蔵野線に乗って登校したわけですが、あの日は、とんでもないことが起きているぞということで、放送部の生徒が、被害状況を休み時間に何回か校内放送で紹介していました。そんな放送をしたことは高校生活の中でもあの時だけでしたのでよく覚えています。そして、家に帰ってから、高速道路やビルが倒壊している様子をテレビで見ました。つまりこのときは、テレビとラジオと新聞が主な情報源でした。
阪神・淡路大震災の発生時は、最大で30万回線を超える固定電話に障害が発生するなど、ライフラインである通信インフラに大きな被害が生じ、救援活動に支障を来しました。その一方で、現地からの要望で「臨時災害放送局」というラジオ局が開設されました。また、普及が始まったばかりだった携帯電話やインターネットも、災害時における活用の可能性が認識されました。
阪神淡路の9年後の2004年に起きた新潟県中越地震では、現地の一般人からの情報発信にブログが活用され、マスメディアだけではカバーできない地域密着の情報発信が注目されました。
2011年に発生した東日本大震災では、Twitterやmixiといったソーシャルメディアが活用されました。LINEが誕生したのも東日本大震災がきっかけです。また、有志のエンジニアの方々などによって、災害の直後から自主的な情報の収集や整理、情報発信などが活発に行われました。復旧・復興や生活支援に役立つさまざまなアプリも短期間で開発されました。こうした震災時の活動がきっかけとなって、ITエンジニアが社会課題の解決に取り組むシビックテックと呼ばれる活動が全国に広がりました。代表的なものは「コード・フォー・ジャパン」という団体ですが、このころ全国各地で同じような団体が100近く誕生しました。
こうした活動に政府もすぐに呼応しまして、2012年には、一般の企業や団体が使いやすいように行政のデータを積極的に公開していこうという「電子行政オープンデータ戦略」という方針が取りまとめられました。私も、この議論に専門家として参加していたんですが、当時は、避難所やハザードマップといった情報を民間の人たちが再利用してサイトやアプリをつくるんだといっても、いろいろ抵抗されたことを覚えています。
5年後の2016年には熊本地震が発生しましたが、この時もまだ、車の大渋滞が発生してしまったり、倉庫から先に物資が流れていかないなどの情報活用の問題が発生して、専門家としては悔しい思いをしました。
しかし2020年からのコロナ禍への対応では、人と人が顔を合わせて協力することができないという中でも、感染者数のデータの整理や見える化では行政と民間の連携が進みました。その中でも好事例だったのは、東京都が制作した、コロナの感染者数などをわかりやすく発信するサイトを構築した取り組みです。これは先ほどご紹介した、社会派のエンジニアたちのグループである「コード・フォー・ジャパン」などと協力して行われました。サイトの改善には、100名を超える多くの有志がオンラインで議論に参加し、中には、当時台湾のデジタル大臣を務めていたオードリー・タンさんも含まれていました。しかもこのサイトの仕組みはオープンソースといって無料で誰でも使える形で配布され、他の県でも広く活用されました。
最後に、2021年にデジタル庁が設立された後の議論や取り組みも確認してみましょう。デジタル庁では、災害の激甚化や、コロナ禍などの社会課題を踏まえ、防災・減災を進めるうえでデジタル技術が欠かせないということで「防災DX」に力をいれています。まず災害の発生直後には、ドローンや衛星画像、SNSなどを使い、素早く被害を把握し、自治体や企業がリアルタイムに連携して支援を行う体制づくりを重視しています。さらに、復旧・復興段階では、支援金や補助金のオンライン申請とマイナンバーカードを組み合わせることで、行政手続をスムーズにし、被災者の負担を軽減しようとしています。
こうしたことを実現するためには、データの形式や内容を揃えたり、セキュリティに関するルールを整えたり、人材を育成したりする必要があるわけですが、これらに着手した矢先で起きてしまったのが能登半島地震でした。能登半島地震では衛星画像をつかった被害状況の把握はかなり行われていましたが、被災者の状況をデータで把握することや、マイナンバーカードを使った避難所の運営や行政手続については、まだまだ課題がたくさん残っています。
30年前を思えば、大きく進歩したといえますが、まだまだやるべきことは多いです。データやシステムの整備やルール作りには、私の研究や政府での仕事が関わってくるので、個人的にも頑張りたいなと改めて思いました。以上、「災害とデジタルの30年」というお話でした。